仰せのとおり、
 加藤議員の実家が焼けても、誰も困らない。
 その似非右翼が居なくても、誰も困らない。
 それこそ、その口封じこそ、自裁の逆効果。
 死んでも、言われたくない、真実とは、何。
  "東風" <sanny411@di.dion.ne.jp> wrote in message 
news:a_FEg.158$O06.52@news1.dion.ne.jp...
   右翼の必要性を記載すると顰蹙を買うと思うが、敢えて記述する。
   阪神震災の時、震災翌日に神戸市内を横断した。 19日に来日される方に面会する約束が有った為だが、震災直後関西空港はノ−マルとの情報を海外に発信しており、JAL、ANA、KAL等定刻に発着していた。
   止む得ず、車で関空に向かったのだが、途中明石付近から被害が目立ち始め、三宮付近は倒壊したビルの下を走る状態で、通常20分程度で走れるところを6時間以上も要する状態だった。
   車には食パンや水を満載していたので、幾度か停止を求められ、一つ120円の食パンを1000円で買うと言う者もいた。又コンビニでは通常150円程度のソ−セ−ジを4000円で売っていたりした姿を見ている。(一部だけ)
   地域に拠って状態は大きく異なるが、最も不思議に感じたのは警察も消防も姿を見ない地域があり、次に警察が警備している地域があり、次ぎに右翼の街宣車が各県から救援物資と人員を派遣し治安の維持と衣食の面倒を懸命に行っていた姿を見ている。
   被害が大きい地域程右翼の出動服が目立ち、水を正確に300cc程度配布し、タオル、肌着等も綺麗に袋に入れてセットしたものを配布していた。
   殆どの道路が通行不可能であった状況で、石川ナンバ−の車があったので通行可能なル−トを聞いて、西宮、宝塚、尼崎、経由で16時間かかって、梅田駅迄行くことが出来た。
   翌日外国の情報将校と同行して改めて西宮迄行ったが、彼は開口一番「何故暴動が起こらないのか不思議だったが、理解出来た」と語った。 ロサンゼルスで地震直後の強奪や暴行を経験している彼に取っては、地震後2日〜3日が最も凄惨と予測していた様子だが、整然と順番を待つ人々の姿は不思議だった様で、彼の感想は、日本で最も必要な時に的確に機能するのは、右翼と組織暴力団で、彼等は地域に密着して、今何が必要かを的確に判断し行動している。・・・・・
   宝塚の駐屯地の自衛隊はその時は整列して出動命令を待っており、先導のパトカ−が到着しない為に涙を流している隊員もいた。
   村山首相が現地視察で上空を飛行したのは、確か19日午後だったと思う。

   確かに日常右翼は非難されるが、非難する前に地域に密着した防災体制と即応能力を持った集団が現在他に有るかを考える必要を感じる。 今の日本には命を捨てても皆を守る集団が、どれだけ組織されているだろうか?
   当時の彼等の行動には未だに頭が下がる。 少なくとも初動体制が機能したのは警察が24時間後、全体としては数日を要したと思う。消防車は恐ろしいほどの数見かけたが、放水していたのは1台だけで、上空にヘリコプタ−は常に数機飛んでいたが報道へりだけで、18日の夕刻から数百食の空輸を民間が始めたと記憶している。
   彼等がいなければ、神戸はもっと悲惨な状態だっただろう。 此は思想の良否では無い。本当に親身になって動くのは誰かを再度考える必要があると思う。

   加藤議員の実家が焼けても、誰も困らない。