紫式部に枕草子の文学で、1000年3000年先まで持ちこたえようなどと
はなさけない限りだ。三島由紀夫だの川端康成だのこんな文学で1000年3
000年を生き延びるつもりか。美しいを連発する文学の何処が美しいのだ。
ファシズムなだけだ。

我国は、文学においても1000年先の人間の感性にも感銘を与えるものが必
要だ。あたらしい古典、これを生み出す民族にして、はじめて1000年30
00年の歴史をもてる民族になる。

今の日本にそれがあるのか。
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哲学ではどうだ。
なにもないではないか。

西田幾多郎くらいだ。ヘーゲルもハイデッガーもフッサールもいない。カント
もいない。
こんな日本では1000年3000年を生き延びる民族としての輝きなどな
い。

京都大学の哲学は、本来なら、西田のあとをついで、開拓されるべきであっ
た。あとの大学には、オリジナルな哲学などないもない。東大などただの人の
哲学を解説する評論家哲学だな。

我国に哲学がないから、神武天皇だの、紀元節だの、君が世なんて、ろくでも
ない思想がのこる。君が代で、1000年生きるつもりか。ばかにするな。