Path: ccsf.homeunix.org!CALA-MUZIK!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!newsfeed2.kddnet.ad.jp!newsfeed2.kddnet.ad.jp!news.k-opti.com!bluegill.lbm.go.jp!toda From: toda@lbm.go.jp Newsgroups: fj.rec.rail Subject: Re: 南海の乗換 (Re: 汐見橋支線) Date: Sun, 4 Jun 2006 02:34:09 +0000 (UTC) Organization: Lake Biwa Museum, Shiga Prefecture, Japan Lines: 47 Message-ID: References: <060525003322.M0187824@utogw.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp> <060525231717.M0131645@smr04.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp> NNTP-Posting-Host: araizeki-dmz1.lbm.go.jp X-Trace: bluegill.lbm.go.jp 1149388449 11593 192.168.254.33 (4 Jun 2006 02:34:09 GMT) X-Complaints-To: usenet@bluegill.lbm.go.jp NNTP-Posting-Date: Sun, 4 Jun 2006 02:34:09 +0000 (UTC) X-Newsreader: mnews [version 1.22] 1999-12/19(Sun) Xref: ccsf.homeunix.org fj.rec.rail:3922 In article kodera_m@cool.odn.ne.jp writes: >「意識して」にしては、最初、今池の築堤から下りきった所で分岐 >かとか思っていたら下りた所が今船電停でして(^^; この電停が千鳥 >に挟んでる道が、平野線が阿倍野に向かう道そのものですけど、交 >差部で直角に曲がっていたのだとすると「今池起点」という予備知識 >と合わない。取って返して、後部の窓から築堤法面などに注意しなが >ら見ていると、 >http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.30.17.2N34.38.26.6&ZM=12 >の中心点の所に2段階で築堤の幅が広くなっている部分が有ります。 >その先は建物で分からず(汐見橋から旧玉出への、西連絡線への分断 >状況に似ている)でしたが、こうやって詳細な図で見ると、廃線跡に >建った建物の形状や側道らしきものの形で、廃線跡が分かりますね。 なるほど、綺麗に見えますね。 というか、かなり跡地利用が進んでいるということを知らなかった^_^; それにしても、現存線の至近にある廃線跡にホテルが建つってのは パターンなんでしょうかね。 http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.52.24.1N34.59.56.7&ZM=11 も実はそうでして、 ここが廃線跡であることは、西続きの廃線跡である国道1号を走ると 真正面にホテルが見えることで確認できます。 廃線が1921(大正10)年というところで、根本的にスケールが違いますが。 >道路への合流は >http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.30.21.5N34.38.21.2&ZM=12 >のあたりってことになります。 で、ここの「専用軌道区間から路面区間に入る直前」に飛田電停がありました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%88%B9%E9%A7%85 には、今船電停が平野線廃止に際して「新規に設置された」とありますが、 正確には「復活した」だったハズです。 古い古い地図に載っていた記憶があります。 >#勾配中で分岐していたとは... 勾配中と言えるのかなあ? 少なくとも今池電停のプラットホームより急傾斜ということは無かったと思います。 今池電停のプラットホーム間をつなぐ踏切は浜寺側にあったと思いますが、 確か、この踏切はレール8本を跨いでいたんじゃないかと。 それも「阪堺上り左→平野上り左→阪堺上り右→平野上り右→阪堺下り右→……」 の順に跨ぐ構造だったような気がします。 ちょっと記憶が曖昧で、間違いかもしれませんが^_^; #「間違い」の可能性があるとしたら「余所との混同」です。 #どこかで、確かにこの構造を見た記憶が…… 戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館 toda@lbm.go.jp