「最高裁に変化の兆し」ということが言われている。その切っ掛けを作ったのが東京地裁の藤山雅行判事だと言われている。
 藤山判事は、「司法は行政にあまり口を出ししすぎないほうがよい」という従来の消極的な考えを改めて、住民サイドというか、庶民感覚に近い判決を出しており、それが頭の硬い高裁で逆転されても最高裁で再逆転するケ−スが増えてきていることを指しているのだ。
 こんなことは、三権分立体制のなかでは、当然なのではないのか。それを司法が、今までは遠慮してやらなかっただけのこどある。
 こんなことを評価しなければならないというのは、それだけ日本の司法が立ち遅れていることを示すものに他ならないのだ。
 村上新八