「信教の自由」は、民主主義社会の憲法にはおしなべて謳われている。
 国教を定めている国でも「信教の自由は保障される」という条項は憲法にあはある。 

 この言葉は、政府としては、違法なことがなければ、特定の宗教を禁止したり、個々人の信仰や宗教活動にに対して容喙するようなことは一切しない、ということを意味するだけである。その意味では、その国で少数派の宗教、一般の人々からは異教視されるような宗教に対しても、公的に差別するようなことはしない、という意味である。
 このように、憲法で定める「信教の自由」規定は、あくまで公的自由であって、私的な問題はまた別なのである。だから、憲法で「信教の自由」を定めても、一般大衆レベルでの宗教間の相互嫌悪、反目、差別、抗争はあり得るのだ。それは信教者に篤信家が多いほど、激しいものになるであろう。
 宗教間抗争や宗派間抗争が多い世界だから、このようなことがなくなれば、「信教の自由」が世界平和に繋がるであろうが、そうはゆかないのである。これが「信教の自由の現実的限界」という意味である。
 村上新八