額賀防衛庁長官は辺野古沖に二本の滑走路を作って離着陸を使い分けることによって、住宅地上空飛行を避けるという案で地元市長と合意した。これに対して、海上基地建設の認可権を持つ稲峰沖縄県知事は反対しているから、決着はまだついてはいない。
 この基地構想は、普天間基地の移転に伴う代替基地だとされていたが、その構想は沖縄返還以前、ベトナム戦たけなわの40年前からあったことが判明した。
 キャンプシュワブに隣接する辺野古沖は浅瀬で基地建設が容易である上に、隣接する湾は水深50メ-トルと深く、大型艦船が出入りするに港に適していることから、ここに沖縄の大基幹基地を設置するという構想が出来ていたのである。
 この案は、当時の米議会に上程されたが、ベトナム戦費が嵩んでいる関係で否決されたのだという。
 その構想は、現在の辺野古沖基地構想とほとんど変りないものであったのである。
 このことは、沖縄の米軍基地は日本防衛のためというよりは、グアム島並みのアメリカの世界戦略のための軍事拠点として位置づけられたもであることを示しているのだ。
 アメリカが睨む相手は、当時はソ連、中国、現在は中国、北朝鮮、「不安定の弧」と変ったが、沖縄がアメリカの世界戦略遂行ための軍事拠点であることに変りはないのだ。日本防衛の狙いが全くない、とは言えないであろうが、それは3割くらいに過ぎないのであろう。
 戦後60年以上を経過した今なおアメリカの日本占領は軍事的には続いているのである。
 村上新八