今日、どこかの病院で、病気の末期患者の人口呼吸器が医師によってはずされ、患者が死亡したとの報道があった。詳しい事情は分からないが、この種の報道を耳にするにつけ、いつも思うことは、もし私が何かの病気の末期患者だったら?、ということだ。  もし私だったら、さっさと、あの世に行かせて欲しい、と思う。

この世には、「この世で、生かすためのアレコレ」は、わんさとあるが、「いかに死んでいくかのためのアレコレ」が、いかにも貧弱なように思われる。人間に生きる権利あるとするなら、人間に死ぬ権利もあるはずだ。誰にも訪れる死というものに備えるためにも、”死への哲学”が、あらゆる面で必要だと痛感する。
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どう思う? と、私は、そばで寝ているトッちゃんに尋ねた。トッちゃん?←私の愛猫。