1910年の「3.1運動」(植民地支配からの独立運動)85周年記念の演説で盧大統領が小泉の靖国参拝を批判した。この行事の性格からして日本の現状に触れざるを得ないことはよく分かる。
 小泉の靖国参拝について、「国家同社の言葉と言動の意味は自らの釈明ではなく、人類普遍の良心と歴史の経験に照らして適当かどうか評価さるべきだ」と述べたのは正当である。が、「我が国民としては日本が侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権の道に進みかねないとの危惧を抱くのは当然だ」とのくだりはオ−バ−に過ぎる。
 日本が平和国家しての戦後60年の歩みからしても解せないし、最早そんな時代ではないと思う。
 また、日本の憲法改正の動きについて「普通の国、世界の指導的国家になろうとするなら、法を変え軍備を強化するのではなく、人類の良心と道理にあわせて行動し国際社会の信頼を得なければならない」という意見も心配のし過ぎだ。
 これに対して小泉は、憲法はその国の国民が決めるもので他国からつべこべ言うな、みたいなことを言ったが、それでは再軍国化も悪くはない、ということにもなる。そんな意味ではなく、盧大統領が思っているようなことは織り込み済みの改憲だからである。
 村上新八