男は、まるで誰かに聞かれたら大変と言わんばかりに、声を
ひそめて言った。「そのとき、もう誰もが俺の運命を知って
いた。そして、命令書が中央から届いて、それが確認される
ことを待っているのだった。おれは『酋長の踊り』を踊った。
それが最後の望みだったからだけではなく、踊れば踊るほど、
それは確信となっていったからだ。」

その話は、ボクは、たまたまそのとき同席した知り合いの男
と一緒に聴いていた。踊った男は、町から来た蜜蝋売りの行
商人だった。行商人はこの村が、全然、商売にならにことで、
酒場でクダを巻いていたところに、酒の肴を見つけたのだ。

踊る男は続けた。「命令書は既に3週間前に作成されていた
が、交通の事情と、事務手続きの不手際で遅れていただけだっ
た。おれは今でも役所で、役人がモタモタと事務処理をして
いることを感謝の気持ちを持って待つことにしている。だか
ら、おれの商売上での役人受けは上々だ。」

ボクも男も、この話がなにやら『酋長の踊り』とかいうもの
によって、齎された奇跡によって、九死に一生を得るという
オトギ話であるという筋書きは読めていた。それを肴にまた、
ヨタ話を繋ぐというのが趣向である。

「役人がやって来て、命令書の封を開けるときも、俺は踊っ
ていた。命令書が読み終わったら、無事に運命は成就し、み
んなの予感は経験に変わるはずだった。しかし、そのとき、
終戦になったんだ。」踊った男は神妙そうな顔を作って、も
う一度、繰り返した。「そのとき終戦になって、命令書は紙
くずとなり、おれは助かったのだ。」

この程度のオトギ話が、受験に敗れ、就職に敗れ、昇進に敗
れ、さらには毎月タカラクジに敗れている男(そうだ忘れる
ところだった、こいつは数え切れない恋にも敗れている)に
通用する訳がない。たちまち、鬱積した愚痴の嵐が踊った男
を包みこんだ。

ところが、踊った男はそれをモノともせず。一言そいつの耳
元で囁いた。「それは踊りの方法が間違っていたんだ。俺が
正統な元祖『酋長の踊り』を伝授してやろう。」

二人はたちまち仲良くなって、ボクを置き去りにして、どこ
か他の飲み屋に飲みなおしに出て行ってしまった。
以来、ボクはこの二人を見ていない。


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のりたま@おほきみののりたまうべき
     みことかは然るみことを吾きかむとす