神道国学と夫余と倭族の共通性。!神主なり

            神道国学と夫余と倭族の共通性。!

            「歌を唱って舞う」この因書は「歌とは・のりと祝詞」「舞とは舞楽」の因書に解読できる。
            「倭」・別分一体の「委任者」が倭人の因書であるから「夫余は神官」の因書。
            即ち、「夫が余る」現在の神社神職の因々で一般社会から「餘・食余る」石扶持で「給料」で生活する者
            の因書である。
            其の集団の国が「夫余」の因書である。従って「倭族」と「夫余」は同一民族である。
            即ち神道国学の「二列二連伏字の法則」に合致した辞気を示して要る。そして後の「道教」は神道国
            学から分離した倭族である。
            座ったり・立ったり・歌ったり・舞ったり・。全く現在の神社の神職の作法と完全に一致する。

            ・・(大乙・武丁・祖甲・康丁・帝辛)・現在も用いる神道易学の卦である。 

            即ち「神道易学」は「神道国学」により創気されたので「股国」創建以前に確立されたと検考でき、其の
            思想的辞気が「天之御中主神」である。でなければ古文書の記録と合致しない。其の同位性を認める
            と・・・・
            天之御中主神は神官であるから・夫余「神官」その委任者「倭族」で共通の民族を因書は示している。
            従って、日本人の先祖は昭和天皇が三度「周付近から」渡来した天皇。とのお言葉とも完全に一致す
            る。
            日本人・日本民族のルーツは支邦古代より古い民族は実証されるであらう。 

            なお・夫余と倭族の共通の門。「草ハ井」平面に鳥居を書き示す。鳥の如く飛びて居る場所」鳥居の止
            まり木である。
            鳥居の甲骨亀甲因書のルーツは「股国」時代にまで及んで要ると甲骨亀甲因書は示す。

            支邦の呼び名は「十二支易学」にあり、股国より古い「国の呼び名」支邦と検考できるのである。

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


            甲骨亀甲因書は「前一六〇〇頃 大乙 」以前と検考される。

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            殷〜周・より。http://www1.interq.or.jp/~t-shiro/data/year/syuu.html

            前一六〇〇頃 大乙 大乙が殷王朝を開き,亳に都をおく

            上記の事・・神道国学の「大いなる乙」語源の事。同位を視る。
               従って「天之御中主神」は其の以前の漢字の創気と語られる。
            其の事は「股時代」より前に創気された漢字で有ると思う。

            甲骨亀甲因書は「前一六〇〇頃 大乙 」以前に用いられたと言える。

            大乙 大乙が殷王朝を開き,亳に都をおく
            前一四〇〇頃 仲丁 殷遷都。王位継承の争いが起こり殷は衰える
            前一三〇〇頃 盤庚 殷再び遷都。殷はまた盛んになる
            武丁 西北へ進出し,殷の最盛期となる
            祖甲 内政の整備に努め,祭祀制度を一新
            康丁 祭祀制度を復古。山西で住民移動がおき,周の古公亶父も岐山に移る。
            帝辛
            ・・(大乙・武丁・祖甲・康丁・帝辛)・現在も用いる神道易学の卦である。 


            即ち、神道易学は「前一六〇〇頃 大乙 」以前に創気された記録の実証である。
            更に現在でも其の易を用いると人の生命まで易する事になる。それ程に現実の実用の
            神道易学である。良ければ「易」を透視しましょうか。?当ります。

                         神道国学者