この神の概念は、私達の祖先がまだ揚子江流域に住んでいた頃は既に存在していたと考えられ、それが日本に渡って神道に進化したと私は考えている。
この神の概念の起源は、倭族の揚子江流域に定住するよりさらに古く、倭族の祖先が、中央アジア奥深くで、遊牧か狩猟生活を送っていた頃でしょうか。多分、紀元前五千年以上前に、

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現在の神道国学の創気元年の始めに「天之御中主神」が甲骨亀甲因書より漢字がと言うより「倭族語」が創気される。
その文化の経緯継承の語部として現在まで貴殿の指摘された通りの語部が語られい要る。 

この語部は昭和天皇が三度に渉り記者会見で「天皇家」は古代の「周国」辺りからの民族移動の北方騎馬民族の子孫とのお言葉と同位して居ます。
最も同属同血の私議であるので語部の同位は当然であると認識して居ます。
民族の移動に就いての参考にして頂ければ幸いです。

           神道国学者