国家・君賀代・を葬送歌と読む朝鮮人有り。
国家・君賀代・を葬送歌と読む朝鮮人有り。
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国語は文法に因り意味が定まります。
「賀」とは目出度いと読みます。
今年は「賀正」「謹賀新年」おめでとう御座います。と文法は定める。
葬送では有りません。
「賀」が葬送なら、日本国では毎年の元旦が「賀正」「謹賀新年」として・・
葬送・年の初めになります。
「君(賀)代」の・賀は目出度い文法の定める意味です。
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○志賀島神社(福岡市)の真夜中の「君が代」儀式(春と秋 今は昼実施)
君が代を歌い、死したる大王の君の遺徳を讃えることが、古代から連綿と続いている。おそらく
1500年以上前だ。このように詳しくみれば現地証拠が5つもある。この起源をみても君が代は葬送
歌である。
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これを分析すると、
まず”君”は、きみあなたの意味ではなく大王。・・(当時は大王を普通人として君と呼称する)
代は、辞書によると御代、一代の意味で代々のことではない。古今集、和漢朗詠集正写本では
「我が君」。
細石(さざれいし)。さざれ石は神々しい石の意味。神の神聖な石の意味だ。具体的には鍾乳洞の
小さい石筍だ。それが永い年月掛かって巌ではなくて岩穂=鍾乳洞の石筍に成長する。古代人は
鍾乳洞に入って
その荘厳さに神を感じ、したたりおちる神聖なしずくが小さい石を岩に成長させる不思議さに悠久の
時を感じたのだ。
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日本国の文化の遺産を誤解してはなりません。
古代の思いと考え方は。現代と同じではありません。
朝廷の一族は当時の古文書は「蜂の属」と記録しています。
「属」と「族」の考え方が異なります。この差異を神道国学では輪廻と言う。
そして「君が代」「君賀代」この「賀」は目出度いと読む。葬式では有りません。
国語の解読を間違っては為らないのです。
そして・・・重要なのは・・・・・
天皇・この名は聖徳太子が法興六の法度で定められた法度です。
そして法度は「死後の総称」である。従って天皇は、生前生きている時は・!
「天子」と呼称するのです。明治時代に明治政府が誤って「天皇」とした。
従って現在の天皇家之三種神器「巻物一巻」には明確に「天皇」と遺されて要る。
即ち、天皇及び朝廷は死後の総称として「君賀代」は目出度い詩である。
何が目出度いと言うか。即ち、人が一生を悪事を為さず天に召される。
その人生観の充実した生涯を称えて「目出度い」と呼称したのである。
この思考の輪廻は、現在でも神道国学の極地の教義である。天皇も然り。
そして神道国学はその教義を「甲骨亀甲因書」の因書解読により文化が遺される。
紀元前からの文化が神道国学の甲骨亀甲因書により遺されて継承されて要る。
尚 詳細な説明は朝廷語部制度の語りを皆さんに伝えないと、正確な甲骨亀甲因書の
因書に因る教義は伝わらないのである。
神道国学者 著作権。
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