古寺です。

taka さんwrote:

>>子供のころは、千葉-蘇我間は房総西線だと思ってました。
> 
> 
> 昔は全体で房総線だったそうですね。
> 1933年に千葉〜大網〜安房鴨川間を房総東線、
> 蘇我〜安房鴨川間を房総西線に分離。
> 
> 外房・内房へ改称したのは1972年なので、今も東線・西線と

Woods War さんへのフォローと一部重複しますが、そのフォローと、
こちらにもフォローをしないと不整合が残るので(^^;
千葉〜蘇我間の戸籍が私の側のイメージ通りって話は、時刻表の
取り上げ順とか、「わかしお」「さざなみ」の発時が「スーパー
と無印」的だとか(^^;)程度の影響で、自分的には10歳以降の印象
(それ以前3〜6歳くらいまで千葉に居て、その期間一度だけ58系急
行で行川泊の1泊1周旅行旅行をしています)に過ぎないんですが。
「昔は全体で房総線」という話をするなら、開通時から明記しな
いと却って誤解になるような気がします。
ちょっと検索したら、以前ここで教えて貰った覚えの有るWikipedia
というので、外房線、内房線ともヒストリーなどの詳細に書かれ
たページが出て来ました。
外房が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E6%88%BF%E7%B7%9A
で、内房が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%88%BF%E7%B7%9A
です。

詳細は直接見て頂くとして、「全体で房総線」というのを途中の
一形態と捉えないと誤解しそうに思えるポイントは、
0.房総鉄道開業(当初蘇我起点だが、同年中に千葉延長)
1.房総鉄道(→中略で外房線)を国有化して国鉄房総線になる
2.国鉄房総線の蘇我から木更津線が分岐開通
3.木更津線が延長で北条線に改称
4.房総線・北条線が同時に安房鴨川に到達して、北条線を房総線
 に編入
という経緯が有ること。
1→2(両線の発端の開通)に16年の違いが有ること。
2→4(内房側も房総線に)に17年掛かり、17年後の「編入」である
こと。

で、本線...は国鉄として総武本線だったわけですが、本線筋の
話をした時に、これを無視するしないで印象がガラリと変わると
思うのです。

#外房から出来たよな?だから千葉〜蘇我間も...と思いつつ、
#ちゃんと確認取ったら、ここまでとは予想していませんでした。

もちろんのこと、京葉工業地帯と木更津までモハ72が走るあたり
の発展ぶりは重々承知しておるところです。物心ついた瞬間の千
葉在住と、それ以前、祖父の代でもそっちの関係らしく、学生の
親父が千葉街道を単車で走っていたそうで、帰京後にあの辺の変
わりっぷり(京葉道路あたりまで地面になるくらいまで^^; 今は
もっと海が遠いですよね)を良く聞かされたので。

ただそれで...となると、また全然違うと怒られそうですけど、
青梅・五日市みたいな産業路線として電化や複線化が先行する支
線というのは往々にして有る物で。後は建設経緯を持ち出すこと
になるのかなと