古代古文書は邑々の集合を国家組織に考えたと読取れます。
言い換えれば国家より邑に重点が置かれて要る様に読めます。
そして邑は「村」に輪廻して行くのです。

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あまねし偏 は やはらぐ和合 に うるほふ霑 水の名(方位)は あきらか明 に むなし空 に すたる すつ廃 は おほいなり大いなり は とほし遠 ひさし久 は ひろし裕 
に あらし粗 あらまし略 ほぼ大概 に おろそか忽 は うとし まはりどほし迂遠 に 
親しからず は とほる とほす通 往来交好総括 うまのくそ馬矢 井田の一区画十井を以って一通とす は まばら に わかつ わかる分 を をさむ治 は まれなり すくなし希少 
を きざむ えがく畫 は おほいなり大。

仁賢天皇記 西暦四九二年 仁賢五年以後 武烈 継体天皇時代の以下の因書である。 


この時代の神道国学の甲骨亀甲因書の著書編纂です。
詳細な解読は、記載されて要る漢字の全部を解読しなくては為らない。

全体を通して読むと、専制君子国家では無いと解読出来ます。

          神道国学者