靖国神社の信教の教訓がこの神社に遺るのである。
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            即ち、現在の靖国神社の遺品が伝える効用は図り知れないのである。
            信教は其の事実を自由に伝えるから、様々な意見が唱えられる。

            遺品を焼却破棄すれば、対戦中の軍部政府と国民の惨劇は残らない。

            靖国神社の信教の効用は其処に存在するだけで和平の効用が存在する。
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            全国民及んだ靖国の精神的作用が信教の自由である。

            以下の指摘が信教の精魂を嗣子孫孫へ伝えられる。
            この事実こそが尊い精魂生気である。其処に信教の自由が存在する。

                      織部

            即ち、共産主義・社会主義の思想では永久な語りは残らない。
            過ちを正すこと、それが真実の信教と宗教の自由である。
            日ソ不可侵条約を破棄して戦闘を開始。不戦の誓いを簡単に破棄する。
            誓いの無い有物論である。それに引き換え戦後の日本国は戦争をしない。 

            その不戦の誓いこそ、人間の真実の不戦の誓いである。

            以下の指摘が信教の精魂を嗣子孫孫へ伝えられる。宗教心の真が伝わる。 


            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            愛児を戦争に捧げた老母がいう
            「靖国様へのお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて、自分はもう、何も
            思い残すことはありません。今日が日に死んでも満足ですね、笑って死ねます」
            「お国のために死んで、天子様にほめていただいとると思うと、
            何もかも忘れる程うれしゅうて」
            これらの言葉に、天皇の神社・ヤスクニが、その絶頂期に果たした精神的機能、
            すなわち、単に男たちを「護国の英霊」たるべく動機づけるだけでなく、 

            「靖国の妻」、「靖国の母」、「靖国の遺児」など女性や子どもたちを含めた
            「国民」の生と死の意味そのものを吸収し尽くす機能が典型的に表現されている。