歴史に学ぶなら、誰もが 気がつくことがある。
            こうした掲示板で、ヤスクニ擁護派が 好んで言い立てる得意な台詞
            「反日」「在日」、さらには「三国人」などという レッテル。
            お前は日本人ではない、つまり 非国民だ、という差別によって
            人を貶める 戦前同様の非民主的な思想によるものだ。
            いかにも 差別・選別を主旨とするヤスクニ「神社」信奉者らしい。
            言論には言論をもって、互いに意思統一を図ろうという行為を放棄し、
            差別や人格攻撃によって相手を侮辱することにのみ熱中する。
            時代錯誤の証拠であると 言わざるを得ない。
            こういう人間の言動こそ、日本国と 日本人の恥を さらす、
            国辱行為である と断じるべきだろう。
            ↑
            合碑祭祀霊は何も発言する術はありません。
            靖国神社を中心とした政治的な評価は指摘の通りです。

            しかし死者に対する哀悼・追悼・追悼施設と言う宗教的な視点が全く無い。 

            戦後は政教分離・知らない神社ではありません。
            その環境を調査すれば、無心に靖国神社を信奉する人々は・・・・
            合碑祭祀霊を重要視する事を社会へ伝えていないと思われます。

            この宗教的な哀悼の念・この宗教的な霊祭・精魂に対する追悼の心情がが語られない。
            まさに無神論で靖国神社の合碑祭祀霊を語っています。

            しかし精魂は不思議な力があります。その霊魂の力は、現在の人々が両論を論じあっても、
            精魂はこの地に永遠に眠ります。案外・・・・
            招魂社から眠らずに娑婆にに出てくるかも知れません。精魂ゆえに・・・ 

            人々の目には見えないかも・・しかし、現世の人々が如何に論じても??
            招魂社に合碑祭祀霊は、この地からは離れないでしょう。信教の自由と
            宗教の自由な魂を弾圧消去する事は不可能であると思います。

            真に死者の合碑祭祀霊・軍人の犬死?・明治時代の精霊は犬死ではありません。
            そして、此処のカテゴリ・総合的に論点を観察すると・政教分離の論点より
            政教一致の合碑祭祀を云々・・と読めるのです。
            宗教的な合碑祭祀霊の遺霊の姿は少数しか見られないと思います。

            死者の追悼の霊・どこかえほってけぼり・追悼の霊・なんて真剣な議論は?
            できていないと思われます。日本人は無神論者が死者を云々して居ますよ。 


            無神論は共産党の専権・政治手法です。彼等には宗教心は観得ません。

                       織部