>秀吉の朝鮮遠征の際の耳塚

京都市東山区にある耳塚は、秀吉の朝鮮征伐の際、殺した敵兵の鼻や耳をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰った際の慰霊碑で、

侵略の証拠として在日の人が供養して居ます。日本人は秀吉による虐殺非道の犠牲者に、哀悼の念と黙祷を奉げるべきです。


この情報は信じられません。即ち、当時の毛利輝元の指南役目付けで朝鮮征伐に従軍し、加藤清正が撤退を拒否し、その撤退の同位を得たのが祖の細川道董です。
この耳塚は・秀吉が直接耳鼻を切ったのでは無く・当時の秀吉の立腹を治める為の忠君であったのです。朝鮮出兵で撤退は敗戦です。切腹者です。
これ等の真実を忠実に歴史に遺す手法が神道国学の甲骨亀甲因書の因書に因る著書編纂です。即ち、秀吉に対する虚偽慰霊碑でする。
しかし、この神道国学者は徳川二代将軍に因り上卿法度。その後・・・・
現在まで真実の歴史が伏せられて要るのが歴史の真実です。
当時の韓国には、日本国に勝る学問は皆無です。もっとも・・・・・
日本人でも読めない神道国学の甲骨亀甲因書です。韓国は無学です。?

先ずは日本人から神道国学の甲骨亀甲因書を解読すれば、如何にも韓国は無学の国で有ったかと・・信じられるのです。

        神道国学者 謹製