古寺です。

NIDE Naoyuki さんwrote:
> In article <dj6p54$ho4$1@bluegill.lbm.go.jp>,
>    toda@lbm.go.jp writes:
> 
>>東京近郊で言えば東海道線や東北線高崎線の中距離列車と
>>京浜東北線との関係に近いものがあります。
> 
> 
>   これらは、長距離の普通列車がもともと国電区間では一部の駅にしか止まらな
> いという性格のものですよね。

中電に関してはその通りです。

>   一方、京阪神地区の快速はもともと「急行電車」(急電)を停車駅増と同時に改
> 称したものですから、出自としては阪和などと同様、同じ運転系統の快速運転に
> 分類すべきものじゃないでしょうか。

話の発端が中央線電車の快速だったと思いますが、これも戦後国鉄
全体で種別の概念を揃える前は「急行」で、ごく近年(JR化後変えた
か?)はどうだか知りませんが、特にお茶の水〜中野の快速が走行す
る通過駅にはホームの無い線路別複々線通過側を「急行線」と称し
ていました。

#現在形を書いた文献でも長らく急行線のままだったと記憶してる
#のですが、そうすると戦後落ち着いたあとの中野〜三鷹はどうな
#るのやら?
##ただ線路自体を「快速線」と称されているのも、総武〜線あた
##りまでなじみが無いんですよね(施設関係の方が書いた記事な
##どで)。運転系統だと、中央総武緩行とか、常磐緩行とかいう
##区別を聞きますが。

で、中央線は、快速電車と同じ線路を、特別快速より停車駅が少な
く、しかしただ停まらないだけで並行ダイヤの「普通」が、長年
だらだら流れていました。大多数が高尾で系統分割された後、'80
年代に新宿まで入っていた分も原則、立川より都心へは向かわなく
なったと。夜行普通廃止後、新宿まで入ってくるのが1本でも有る
のかは知りません。
夜行普通始め、数本が旧型客車で残っていた時分までは、115系は
汽車の仲間だと利用者には理解されていたでしょう。

あと、阪和は遡ると戦中あたりまで民鉄だったのは有名すぎですが、
戦後少なくとも「特急」(電車)までは復活してましたよね。「超特
急」は国有化後はどうでしたっけ?

>   もっとも、以前は京阪神地区にも長距離普通列車を出自とする快速も少数あっ
> て、列車線を通るなど他の快速とはやや異なる運転形態をとっていましたが、今

急電からの快速に80形が入り、長距離普通も電車化で80形化された
時代に紛らわしくなったようなコメントを、80形が並走する懐古写
真の説明で見た事が有ります。
快速には70形の投入が妥当だったんじゃないかとは思いますけどね。
もっともあれで2扉車を入れた事が、「車種で区別しろ」と言わん
ばかりの扱いのもとだったりしませんかね?
釣り掛け時代の東海道山陽緩行は、3扉セミクロスの関西型(関東で
は、スカ形が70形で3扉化されるまで無かったんじゃないかと)が
普通のスタンダードだったとも聞きます。環状(つか、城東とか?)の
のような「電車系統」とは一線を画し、緩行電車自体が関東基準の
中距離電車に近かったのでは...

> はその区別は薄らいでおり、快速が列車線を通るかどうかは単に線路容量の都合
> と言ってよくなっていると考えます。

ですね。夕刻の大阪始発下りとか、大阪をスルーする本来の?快速
や普通などとの緩急結合ネットダイヤに割り込めないような状態
で走っているかと。あれを「電車線」に突っ込むと退避駅が不足し
たり、それで並行ダイヤ化を余儀なくされたりしますもんね。
備前片上行きで残ってたのとか、長距離の成れの果て色も兼ね備え
と、ここでも言われてましたけど。

> # 常磐線だと両方の出自のものが混在してますね。

やっと統一されたんですよね。fjを通じてそれを知った時は、祝辞
のようなフォローを書いてしまいましたが。
いわゆる首都圏5方面の中では、常磐の長距離列車〜電車化で中距離
主体になりましたが...と電車快速の関係は、中央線と同様、電車の
快速の上に「列車の普通」が有り、ただ「列車の普通」の勢力が優勢
で、系統分割などされずに上野に入り続けたのが違いでした。
快速自体、地下鉄直通の緩行線が出来て始めて、上野直通を快速電車
として残すべく出来た最後発種別で。要は緩行が全部地下へ向き、中
長距離系の列車だけが上野行きでは上野系統が不足し過ぎ、南千住や
三河島も陸の孤島化するから出来たような物で。
その辺、出現経緯が近代かつ消極的?な特徴で後にややこしくなります。
中央と違って中長距離を切れなかったから、沿線の発展にともない、
それを柏、北千住と次々停め、事実上「ほとんど電車の快速」と化し
た訳です。オフラッシュの南千住・三河島停車に至っては「もう、
統一しちゃいなよ」な意見を述べて来ましたけど、ようやく統一。
ついでに、ここの快速の前の「上野始発の電車」も少々、国電では
有る物のルーラルというか。駅間も長いし(後の追加新駅が多い)、
京阪神の緩行の以上に、これそのものが中電に近いような出自でし
た。長らく松戸で電化区間が終わっていた時のそれと、取手で技術
的に直流電車の限界に当たり、交流電化で以遠に電車が伸びてから
の中距離電車で「国電と列車」の区別をされましたが。もともとは
電化区間内の小運転が電車化され、以遠直通はSLで、列車の一部の
小運転が電車だったような形態です。
首都圏5方面で最初に、国電の外の概念だった中距離電車が「快速」
と、各駅停車の国電と整合した種別を付されたのは、総武快速が
初で。ここは線増まで、普通の中長距離が両国ターミナルまで入る
のは容量的に壊滅状態(列車は優等のみ直通)と、中央線高尾以上に
千葉でスッパリ切れていて。料金払わなければ皆、黄色い各駅停車
で我慢していたのが、東西線快速という救世主の登場、そして総武
線自身に、他線区なら「普通」と呼ばれそうな快速が登場と多機能
化していきました。

#東西線西船橋に延伸時点で、親父の赴任先で物心ついてたもんで(^^;

> 由なんでしょうね。複々線で快速と普通の線路が別になっている中央・常磐・総
> 武快速などが「快速」表示を省いているのと、考え方としては同じなのだと思い

総武線は、ようやく実現した横須賀へのスルーで前面幕の表記が混
乱〜横須賀・総武線だったかで落ち着き(一般新聞ネタにもなった
ような)までの間は、なんらかの形で快速表記をしていたと思いま
した。

>   これについては、もともと東京地区の中央線快速が列車自体に快速表示をして
> いないという話から始まって、私が京阪神地区の快速もそうだという話の振り方

たまたまこの両者、上記のように戦前「急行」で始まってるんです
よね。記したように、中央の方が快速までロング車(戦前はどうだっ
け)、京阪神は電車化の初期から釣り掛け時代まで緩行にもセミク
ロスが入っていた辺りは、路線そのものの輸送密度の違いと。
都市間輸送量では実は、阪神間がかなりの時代まで京浜間を上回っ
てたというヒストリカルな記事を、青木栄一先生が京急特集かなに
かで書いていた記憶が有りますけど、その大層を阪神と阪急の私鉄
電車が担っており、国鉄は駅間も長く、混雑もさほどではなかった
のでしょうね。
一方で首都圏は、中央とか西武あたりが都市間というより各駅に張
り付いたベッドタウン人口(他線と食い合わない)で、輸送量の急増
に苦慮した歴史が有ります。

なんかまた、別側面のフォローばっかりでしたが。