ご承知の通り、日本国憲法は二院制を採用していて、衆議院の他に
参議院があります。では、この参議院の役割如何?を考えてみましょ
う。

     (1)慎重な審議
     (2)国民の多種類の要望を汲む

というようなことが言われますが、(2)は結局は実現を見るかは衆院
の意向にかかっていることですので、残るのは(1)の慎重な審議のみ
であります。これを憲法は期待していると読むことになります。ところ
で、参議院に慎重な審議による衆議院の性急さを監視する役割を持
たせるのが憲法の趣旨だとした場合、衆議院の可決した法案を参議
院が否決することも当然ありうることをも同時に憲法が予定している
ことになります。

では、このような場合に内閣が法案の否決を自己が信任されていない
と受け取って信任している衆議院のほうを解散することもできるとする
ことは果たして憲法の予定することなのでありましょうか?もし、これを
”国民の信を問う、民主的な行動だ”との考のもと、解散を許す立場は、

     参議院が慎重な態度を示すたびに衆議院が
     解散されることを可とすることをも同時に認め
     る立場でもある、

ということになるのです。どうもおかしい。何かがおかしい。何処がお
かしいのでしょう?憲法は一方で二院制を採用し、「原則的に」参議院
に慎重な審議と結果を期待しておきながら、他方で、衆議院が初めに
信頼した内閣を後に何がしかの理由から不信任に至った時というよう
に、「例外的」時点で認められる解散とを同時に規定している、と読む
その憲法の読み方がおかしいのではないでしょうか?

もう一つ二つ三つおかしい点があります。

   (ア)内閣提出法案を衆議院が可決しているのに参議院が否
      決したからといって衆議院が内閣への信頼を崩してはい
      ないにも拘らず、内閣が勝手に信頼が損なわれている、
      とすることを憲法が認めているとする点。内閣って何時か
      らそんなに偉くなったんでしょうね?内閣の唯我独尊を何
      時憲法が容認するようになったんでしょうか?

   (イ)反論もあるでしょう。内閣の衆議院の解散は、何も内閣と
      衆議院との信頼関係如何とは一切関わらない、と。内閣
      がここぞと思ったときに自由に衆議院を解散してよいとす
      る考えですね。憲法をどのように解釈すればそういう結論
      が導けるものなのか???たぶん、解散によって国民の
      信を問うことはどんな理屈にも増して「民主主義的」だとし
      たいのでしょうね。

   (ウ)しかし、これに関しては再反論が可能なように思われます。
      日本国憲法は、積極的に「代議制」=間接民主制を採用
      しております。この「趣旨」を立論とすることからの反論で
      すね。この考えは、

          郵政民営化問題というような具体的個別の
          政治問題についても、代表であり且つ専門
          家であ衆議院議員の見識を越えて、議員選
          択という「人材」選択とは無関係に、当該政
          治問題の具体的且つ詳細的内容について
          も国民のほうが優れた民主的見識を示せる、
          とする考え、

      であって、これは憲法が「敢えて」直接民主制を断念し間
      接民主制を採用するに至ったその本元の「趣旨」に反す
      る、と。何時から日本国民は直接民主制に相応しい国民
      に変化を遂げたのでしょうね???嘗てyam氏は言って
      おられましたよね。

         兄弟を出ていない国民は馬鹿だ、ってね。(笑い)

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太宰 真@URAWA