未だに具体的問題に対して、自由主義に反するだの民主主義に
反するだのと言って他を批判したり自己の立場の正当性を主張
したりする論者がいる。これが果たしてどれだけの意味があると
いうのか?

やや詳しく申し上げよう。現在、日本国は民主主義の国である。
憲法もそのことを明確に謳っている。この枠から外れてもいない
政府の方策なり行動なりに対して、やれ民主主義に反するだの
自由主義に反するだのと言い、具体的問題に対し、他を批判し
たり自己を正当化したりするのは馬鹿げたことだと言っているの
です。其れとも何かい?全ては一種の「修辞」としてのものなの
かい?

もし、本当に民主主義に反し、あるいは自由主義に反し国民が
それゆえに不利益を受けていると言うのであれば、こんなところ
でガタガタ喋ってないで裁判所に訴えた方が話は早いであろう。
あるいは、ここで皆に裁判所に訴えることを誘う努力をすること
のほうがよっぽど効果があるかもしれない。

実は論者にしてみれば、鼻から民主主義に反したり自由主義に
反したりはしていないことを知っていて、ただその主義が弱い強
いの感想から、その理由の帰結でもない自己の持つ結論を説
得付けようとしているのみ、此れではないかと思う。

要は、具体的に見て、<国民の為に成るか成らないか>であり、
そこを集中的に論ずることによる説得性しか意義を持たないの
ではないか。そのことから、却って、自由主義的でなかったり民
主主義的でないほうがよいと言う場合の<大発見>ができるや
も知れないのです。

ご承知の通り、真の自由主義、民主主義の価値は、分部分部を
自由主義的でなく、また民主主義的でなくする民主と自由の使い
方を内包するところに存し、またその価値は、この主義がそのよ
うな包容力を持つ点にのみ存する。主義として言う限りは、自由
主義、民主主義の利点はここにしかない。

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太宰 真@URAWA