大和猛夫 wrote:
> 國會議員・地方議會議員の權利と義務についても新憲法で
> 規定すべきだ。

面白い試みですが多々疑問あり。

国会議員の「権利と義務」については既に現憲法でも規定されている。つまり、
「国民の権利・義務」として。国会議員は国民だから。

ところがあなたは、こんなものでは生ぬるい、国会議員・地方議会議員の権利・
義務と言うのは国民にはないところの固有の権利義務だ、と仰るのでしょうね。

その例としてあなたは次のように仰る。

> 政治家の立候補の權利には當選後の義務が伴ひ、採決
> には責任が當然伴ふ。
> 國政は國民の嚴肅な信託によるものであつて、採決を
> 拒否することは許されない。

(1)しかし、立候補しにくくすればそれだけ国民にとっての選択肢が狭まる事
を御存知だろうか?

(2)細部に至るまで権利・義務として規定すれば政治家は大胆な行動に出にく
く、萎縮してしまわないのか?どんなに憲法規定を詳しくしようとそれを実施す
るうえでの法律が必要となる。細部に至るまで制約するにはその法は優れたもの
でなければならない。ところで、そのような法を制定し運用できるほど日本国民
は賢く予測能力に長けたものなのだろうか?逆にわたくしは以下に申し上げるよ
うな努力をしつつ、日本の政治家は、日本国家の利益に成るものと「明らかに意
図したもの」(客観的である必要は無い)である限り、無答責の方向に持ってい
くべきなのではないかと考えている。つまり、全ては政治的に責任を問うのみ。
すなわち、次の選挙で当選させない事。次の選挙まで待てないとすれば、法的に
無答責であることを強化し、リコール制を導入するとか(これは今の憲法にはな
い)。

(3)今の日本の政治家は日本国民の身の丈に合った政治家なのではないかと考
えている。日本国の国会議員は日本国民が鏡に映った姿である。このことを忘れ
てはならないと思う。そこで私は次のような提案をしたい。国民をもっと勉強さ
せなければならない。直接学校で「新しい政治」という教科を立ち上げて学習さ
せる。ここで奇麗事を言うのはよそう。そのようなことは各自が進んで学習する
ものだ、などというように。また、詰め込みによる学習は自ら考える力をそぐ結
果になるとか。現実にはそのような御意見は今となっては極めて白々しい意見で
あることを御存知だろうか?政治の「せ」も知らない馬鹿どもがごろごろ排出さ
れている。これが今の日本であります。そんな事が問題となるずっと以前の問題
として国民が総白雉化しているのです。詰め込みでも何でもいいから「基本的」
なことは学んでもらわなければ成らない。こういう努力をしてその上で、国民の
選択行為に大きな責任を課すという方向に持ってゆくべきであるように思う。日
本国民には、自ら選んだ政治家がだめならば日本が滅んでも致し方ないとする何
かが足りない。国会議員のせいにする前に日本国民自らの責任であるとする何か
が足りない。

それは何なんだろうか?中国や韓国では国を挙げて意図的に日本国を批判をする
ような教育をしていると言う。内容はともかくとして、「姿勢」は正しいと考える。

--
太宰 真@URAWA