古寺です。

SHIMADA,makoto さんwrote:

> Yoshitaka Ikeda wrote:

>>指定席だったか自由席だったかは記憶にありません。
>
>     自由席でした。「グリーン車」ということであれば、

どっちかというと「普通列車で指定」という事例が過去ほとん
どなく、一部の夜行普通列車で有った寝台ですら沿線駅発売の
マーク→愛称付けてマルス収容と、その容量に左右されてた問
題。特別車両(グリーン)は等級制度が崩れた物で、指定を伴う
ものでもなく。ただ、マルス登場以前から特別急行、後に一部
急行でも乗車券センターに依る指定制度が有ったと。これはどっ
ちかというと。結局席指定するかどうかは種別(特別急行か)の
方が繋がりが有ったと。

上記普通列車の寝台は、「からまつ」「山陰」等の愛称が付い
た時点でマルス収容されますけど、周遊券で行く遠来の我々が
乗りやすくなったというのは多分結果で。おそらくコンピュー
タの容量も増えたし、各駅の仕事を減らしたというのが主旨か
と思いました。
この流れの中で、本数の多い東海道東京口や横須賀、京阪神の
ような「普通列車にもあたりまえに優等車が付いていた」時代
の流れのそれまで指定にしようって局面は一度も無かったと。

容量的問題の無くなった以後、普通列車で1日何往復も有る列
車の指定が設定されたのって、岡山〜高松「マリンライナー」
グリーン、普通の指定が実は初モノという、極めて現代的な話
じゃないでしょうかね。これより本数が少ない類似で「海峡」
の普通指定。いずれも連絡船が置き換わった物で、両側で特急
に接続するシャトル的存在という影響も有るかもしれません。
本数的には、北海道のエアポートライナーuシートがマルス収容
で15分ヘッドだそうですから。今なら京阪神快速程度の本数を
指定でこなせない訳じゃないって事になりそうですね。
いや新快速ならともかく、快速では駅コードが段違いに増える
かな...

「山陰」とか「南紀→はやたま」以前の枠付き指定で、座席の
例だと、季節海水浴臨に優等列車の編成を回してるケースのグ
リーンで散見されたかなって程度の記憶しかないですが。熊谷
地区〜新潟への海水浴臨時「くじらなみ」のグリーンで枠囲み
付きが印象深いです。毎年、相当本数が出ていました。

>    113系の京阪神地区快速に連結された車両で、サロ110
>    -0番台(サロ153-0番台を改造)、サロ110-900番台(サロ
>    153-900番台を改造)、サロ112(サロ152を改造)、サロ
>    152-51(サロ163-7を改造)のいずれかでした。これらは

あと横須賀に総武地下線直通東京スルー運転用の「地下系」グ
リーンとして、リクライニング+急行型ピッチと定員に「改良」
して出したら、やたら座れないグリーン定期客が出て、サロ112
で問題聞かない関西へ...となったサロ113ですか。
横須賀線では二度とお目に掛かれないかと思っていたら、5年と
経たずに出戻るし。京阪神グリーンの廃止が'80年というフォロー
も有りましたから、結局横須賀線分離増発時の編成増加分で吸収
してるんですよね。ここまで計画的だったのか、行き当たりばっ
たりがうまくハマッた(再びの定員減は増発を伴い悪評を押さえ
られた?)のかの事情は知りませんけど。

>    運用中に2等車→1等車→特別車両(グリーン車)という
>    制度改正を経ていますが、その前であればモハ80系で
>    サロ85が連結されていました。

ピクトリアルなどで旧型国電の特集となると、東京の山手・
京浜線の帯び付き(GHQの指定解除後暫くロで運用かと)と並び、
京阪神「緩行」の2等というのもよく出てきますよね。電動車
が5x番台のに相当する形のだと思いましたが。

快速については、長距離客車列車が系統分断されながらも、
そのまま電車化されていったような東海道東京口に比べると、
私のような若輩には複雑に思えます。histrical的にグリーン
車連結って事で追った文献を読んだ事が無く、どの年代にど
ういう形式の「ロ」がいたりいなかったりという断片的な情
報で推測してるからなのですが。
京阪神の方では「大鉄」所掌の電車(内側)線のいわゆる電車
運転の中で急行→快速運転が発展しつつ、本社設定の長距離
普通(草津線直通や、最近まで備前片上直通だった外側線快速
に名残を感じたり)を次第に吸収していますよね。
戦後落ち着いた段階で緩行二等車が有ったらしきとか、長距
離普通由来の二等は有ったんだろうなと思う半面、急電復活
時点でかき集めた流電など、戦中に改造された二等合造車は
復活しなかったような...
このあたりの二等〜グリーン車連結ポリシーがイマイチぴん
と来ません。新快速がモノクラス短編成(東京モノのセンス)
で出てきたのと、急電復活の編成と通じるものが有るのかな?
とは思いますけど、直系の繋がりではないし。

>    かったため、グリーン券を買っても連結した列車が来る
>    とは限らない、といった利用者の不満もありました。

首都圏だと211系登場頃、付属編成x2の10連、8連(113系)で
グリーン無しを混ぜて中距離電車10分ヘッドとかやってまし
たけど、不評だったと記憶しています。
最近の新系列って、一度組成してしまうと基本・付属間での
ユニット交換とかそうそう無さそうで(しかも号数によるク
ロス・ロングとか始めちゃうし)、付属を日中寝かしておく
と車両キロのバラ付きが出るだろうなぁと思ったものですが。

その少し前には、横須賀線の日中末端付属編成運用を、京急
に対してシェアを落として行った流れで逗子まで拡大された
んですが。これまた横須賀駅あたりの利用者に不評で、基本
編成も時間何本か横須賀までは入れる半端な減量に。
大船工場で公開された横須賀末端を想定で作ってみたワンマ
ン電車(101系2連だったか)は、そこまでの衰退傾向本当に使
うと思っていたら、グリーンが来なくなる抵抗が有った段階
で立ち消えたと。

>     なお、それ以前の時代であれば地方では道路が未整備
>    で自動車の普及率も低かったため、上流階級やおエライ
>    さんが乗るためにスロハ32やキロハ18といった半車でも
>    2等室があるローカル列車が多かったものです。

上の方で書き掛けた、山手・京浜や京阪神緩行の二等連結と
いうのも性質上はこちらに近いのではないかと見ています。
各駅発着の「二等運賃乗車券」を発売している手前って物も
有ったのだろうなと。
二等切符を通しで持っていても、利用の末端などで二等連結
の列車が必ずしも来ないようになっていった...のも、等級
制をやめるきっかけの一つですかね?
機械式レールバスや旧型客車改造ディーゼルカーが単行で走
るような区間まで行くなら、そこでは二等切符が無駄ってこ
とになるのは、それを買う「階級」なら細かい事言わなかっ
たかもしれないし、そもそもそういうところへ汽車でいく
当該階級の人は居なくなったんでしょうけど。
やはりどこかで制度と実態の整合は取らざるを得なかったろ
うなと。

ついでですが、東海道準急のなれの果てっぽかった急行「東
海」「比叡」の、少なくとも比叡はマルス未収容(白抜きで特
急・急行グリーンのマーク)で無かったですかね? 急行東海
の方は、伊豆方面行き急行(こっちは間違いなく指定)との
整合と自分の記憶が怪しいですが。
比叡の方はひょんな事情で区間乗車した想い出が有ります。