古寺です。近接駅乗り換え的な話をツラツラ続けます。

ABE Keisuke さんwrote:

> 京王沿線や新宿方面から成田空港方面は、このルートが
> 割と早いそうです。

なるほど... 両ラインが(間接的に)交差する東日本橋のと
ころは、別名(馬喰横山でしたっけ>新宿線)の乗り換え指
定駅ですよね。開通当初に何度か使った結果として、あそ
こは私もあまり使いたく有りません。ただ、本八幡も妙に
深さが有りますよね。

#そういや近着のRJで種村直樹さんが、日比谷線秋葉原と
#岩本町な話をさえれています。もとは幸谷と新松戸の話
#だったか。

>>##ところで「京成西船」の方は、東西線方面への利用者が船橋乗
>>##り換えで国鉄(JR)1駅分払うのがもったいないからという需要
>>##なんだなと認識しました。それを除くと、特に便利でもない。
> 
> 
> 京成西船駅は普通しか止まりませんから、便利かどうか
> でいうと、不便でしょう。

えーっと、自分の認識順とどういう論理だったかというと、まず
優等通過の小駅「葛飾」で、以前耳にしたほどの乗り換えが行わ
れているなら、よっぽど乗り換えの便自体が良いのかと見当を
付けていたら、そこは違ったという事で。
船橋は沿線屈指の大駅ですし、駅は近いは、優等は止まるはで、
京成も流出を止める有効な手だてがなく('80年代なかごろ版の通
勤特急が、一つの手だてだが...)。'70年代には超有名な「旅客
流出駅」にして、乗り換え風景、特に踏切を挟んだそれが関東地
方のニュースで風物詩的にも問題(遮断ロープくぐり)にもなって
いたと。
葛飾(って、埼玉まで連続してると思えば、千葉にかなり入った
ここも?と、高砂にはよく預けられたので子供心に)の方は、「京
成西船」改称の話よりかなり早く西船への乗り換えがラッシュ時
限定で見られるとはアンテナに掛かってはいたのですが。当然、
総武線に流出するなら船橋の方が圧倒的に便が良く(海神の人が
どっちに行くか微妙?^^;)、まあ乗り換え先は東西線なんだろなぁ
...くらいの見当までは付いていて。
ただ船橋からだと東西線乗り換え回数が一回増えるケースが有る
(ラッシュ時は思ってたより津田沼直通が残ってましたが)とはい
え、こうも乗り換え時間、歩行距離のメリットが無い位置関係で、
それほどの乗り換えが生じているとは思っていなかったんです。
時間や歩数のメリットが全然無いのだとしたら、ああ運賃が1社
分余計なのが挟まるのを回避してる程度だなぁと。

かつての京急神奈川新町どまり(都心に行かずに終わる...ここの
場合も有名な、ピークが横浜に有る事情)特急と同様、京成にも
東中山どまりの朝特急(こちらは、実質上の船橋どまり需要)と
知り、後に京成西船への改称が有ると聞いた時には「そこまで
するくらいなら、東中山特急を旧葛飾に臨停させときゃ親切だっ
たろう」と思った物なんですけどね。やってみたら、距離の上
(というか、千葉街道の信号や歩道の狭さ、障害が...)では、
いやそれほどはと思い直しました。

#じゃあなんでわざわざ改称まで...なし崩しかな。

話を逸らしつつ、広げて伸ばします。

そういえば京成の駅名でかつて色々言われた「国鉄千葉駅前」
とか有りますが。新京成でも親会社の津田沼まで引っ張れずに
新津田沼でどんどん黄色い電車(スカ色はまだ無く)へ流出する
のが有名でした。親父の一時転勤による転居先が近くて、鎌ヶ
谷大仏折り返しによくお世話になってた当時、松戸口の利用は
まださほどでもなく、「親」に直結した津田沼口が明確に「上
り」方向だったのに国鉄に流出して行くのだから、ここもイン
パクトが有りましたね。
先日、総武線を相変わらず単線で跨ぐ新京成を見上げてまだ
そうだっけ?(縁が無くなってた頃、複線が延びたとも聞いた
ような気がするが、高加減速ダイヤ化で来た時もそういやそ
うだったか?)と思った物ですが。
原体験の新津田沼は、ここで如何にも(大仏からの)複線終わ
り!って感じで、片方の線が途切れる...というか、松戸方面
が付け加わるので始まる感じ...それも車庫から出て来るよう
な形だったと思っていました。中途半端な文献知識で、後に
津田沼第二工場(津田沼駅構内で焼けちゃった親のが第一?)
と見かけたのがそれか?という認識で。
今はその辺奇麗に整理された感じですし、複線区間も総武線
跨線橋はいじらないまでも、閉塞を短くするために少し延ば
した感じですね(mapfanの1/1562図)。
思い出とはいえあんまりいい加減な記憶で書くのもと思って、
新津田沼・昔・工場で検索したら、いいページが一番上に
ヒットしました。

http://hkuma.com/rail/shinkei2.html

私より(相当?)上の年代の方のようです。どうももとは、国鉄
津田沼の乗換駅としての新津田沼と、京成の津田沼方面は松戸
よりの前原で分岐していたそうで(びっくり)。そもそもが三
岐の国鉄と近鉄とで二股(経緯が全然違いますが)のような格好
で、最初から新津田沼での国鉄乗り換えをする前提の作りだっ
た(後に蛇行したルートで線上にまとめた)ってことのようですね。

(私程度にも)有名な話の、鉄道連隊の軽便線買収した話(西武に
取られそうになりつつ)で、連隊線は訓練目的を兼ねてわざと曲
線が多くしてあったという逸話と合わせ、ここは特に親会社線
に無理くりくっつけたのでよく曲がってるんだ(国鉄前に一駅
有るのは、たまたま通っているから)程度に思っていたのですが。
まんまと誤りで。
(前原の)変電所付近で別れていたと言われれば、確かに、変電所
から現新津田沼の先へ妙に一直線状な線路跡クサイ道が、2カ所
に分かれて見て取れます。

http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.1.45.4N35.41.19.7&ZM=11