「表現の自由」が法学的議論かそうでないかを中心をlawにに移してまで続いて
いるのを皆さんは奇妙に思いませんか?

この馬鹿みたいに長くなったスレッドは何を意味するのか?わたくしは参加者の
「人材不足」がしからしめる事ではないかと考えます。その意味では、匿名主義
にして単発でもいいから、より勉強している専門家の意見を拝聴したいときが有
りますね。

なかなか妥当な言い方が見つけられないのですが、たとえばlawに主のように顔
を出され、間違った事でも何か固定的に正当であるかのように主張される御仁が
いてそれをあたかも正しいように受け取ってお終いになる、その繰り返しが今で
も続いている。このようなfjのグループはもうお終いにしなければ、、、。

たとえば、有る議論が「法学的ではない」とする意見の邪魔にあっていて、法学
的か法学的でないかをお互いが言い切れずに窒息死しそうな状況に有る。わたく
しに言わしむれば、所与のfjでの「表現の自由」論議が、

      法学内か法学外かを言うときには、「何が」を明らかにしなければ
      ならない。

      それは「表現の自由」という「ことば」ではない。投稿し、閲覧 
      し、反論するというような「実体」であります。

      この意味での「実体=行動」は「法学的」か「法学的でない」かの
      色合いをまだ持たない段階のものであります。逆から言えば、法学
      的にすることが可能な段階のものであります。このような「実体」
      を表現して「表現の自由」という事は少しもおかしいことではな 
      い。(今回はこの時点で邪魔が入ったから問題になった。)

      もっと正確には「法学的」にするかしないかは以後の捉え方によ 
      る。(実体ではなく評価)

      ところが、この「捉え方」を云々する以前に実体自体を「法学的で
      ない」として議論の埒外に葬り、邪魔しようとするのか?そのよう
      な悪意有る投稿が何ゆえにfjでは尊重に値すると考えられるのか?
      極めて奇妙ですね。lawはfjのなかでも馬鹿グループの筆頭だとさ
      れている理由が分からないでも無い。

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太宰 真@URAWA