「信仰」とは神や仏の存在を「信じて、仰ぎ奉る」ということなのだが、その基底には、神や仏の存在を信じるという意識がある。 「信じる」ということは、その真偽如何を詮索せずに、頭から信用することである。それが「信じる」とい言葉である。神仏についてもそうである。 神仏について、その存在を証明するものがあって、それが確認できた場合には「信ずる」とは言わない。「了解した」とか「分かった」という表現になる。神仏でなくともなんでもそうである。「浮気はしていない」と言う配偶者の言葉を「信じる」といのも同じである。 だから、「鰯の頭」でも「信じる」ことになるのだ。宗教信者というものはそういうことができる人なのだ。 村上新八