From(投稿者): | 村上新八 <shinpa@cronos.ocn.ne.jp> |
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Newsgroups(投稿グループ): | fj.sci.philosophy |
Subject(見出し): | 信仰とは |
Date(投稿日時): | Fri, 29 Apr 2005 13:55:24 +0900 |
Organization(所属): | NTT Communications Co.(OCN) |
Message-ID(記事識別符号): | (G) <d4sens$70t$1@news-est.ocn.ad.jp> |
「信仰」とは神や仏の存在を「信じて、仰ぎ奉る」ということなのだが、その基底には、神や仏の存在を信じるという意識がある。 「信じる」ということは、その真偽如何を詮索せずに、頭から信用することである。それが「信じる」とい言葉である。神仏についてもそうである。 神仏について、その存在を証明するものがあって、それが確認できた場合には「信ずる」とは言わない。「了解した」とか「分かった」という表現になる。神仏でなくともなんでもそうである。「浮気はしていない」と言う配偶者の言葉を「信じる」といのも同じである。 だから、「鰯の頭」でも「信じる」ことになるのだ。宗教信者というものはそういうことができる人なのだ。 村上新八