> himtkitk wrote:
>
> 言論の自由は実名の場でも保障されんと意味は無いんじゃがね、、、
> 実名の場での言論の自由を維持する為にも、匿名の場も必要と云うのが
> わしの考えじゃが。

イマイチ考えが甘いですね。「言論の自由」が何故保障されるのかね?一方通行
の事しか考えてないようだすな。このてんはS氏と似たり寄ったりですな。同じ
年代に生を受けたと見たね。(笑い)

「表現の自由」が自己実現と言ったって社会への選択肢の提供といったって、自
分がそう思えばそれでよいということにはならない。そこには必ずそれを受ける
受け手が居る。その受けてとの関係で「表現行為」もその限りで制約を受ける。
このことを知らない「表現の自由論」は一昔前の考えなり。

表現において重要なのは、

          誰が表現したか、

などでは決してなく、

          何が表現されているか

である。この考えによれば表現の主体などは重要ではない。主体が重要性を帯び
るのはその表現に「反論」するときの名宛人を定められると言う以外にはない。
しかし、NetNewsでは実名など表記しなくとも「反論」は十二分に可能でありま
す。しかも記事には記事で対応すると考えれば一層実名などは不要である。

逆に、所属やそれと結びついた実名があれば、記事内容とは別に、何か信頼のお
ける内容ではないのかと思われる向きの受けても必ず居るはず。ことに、表現の
自由によって保護されるべき受け手としての個人は皆が皆判断力において成熟し
たものばかりではない。表現の自由はこのような判断力において一定レベルのも
のに向けられたものと断定することはできないのであります。勿論、ではどの程
度のものと礎底すべきかは一概には言えない。表現の内容と密接に関わるからで
あります。

しかしだねぇ、そんな厳密に言わなくともわれわれがここfjで議論し閲覧してい
ても分かりそうなもんだよね。下手な文章、ことばの足りない文章、辿るべきを
も辿らずに何かをいえているとしてしまっているような文章、そのような中で、
実名・所属にまことしやかなものがくっついてたら、内容的にも受け手の方に
もっと頭を働かせて正しく読み込むべきものではないのか、と言うような誤解と
錯覚を招来することになるのは自然な成り行きではないのかね?実は送り手の内
容・表現力ともどもが稚拙であったに過ぎないものを。

これを要するに、表現過程において、所属と結び付けられた実名なんぞは百害
あって一理もないものとなる。特に、Net上では物理的あるいは金銭上の制約な
どは考えられにくいから、人と人とを確認して表現の価値を決めるなどというこ
とは不必要。唯一、今ここに表現されているものと今ここに表現されているもの
との優劣関係でことは決せられる。このことを推進するのに匿名に過ぎるものは
ない。

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Goloden Cross