"Great Sugawara" <sugawara81@greatest.com> wrote in message 
news:803Qd.43560$NC6.37325@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net...
> ぼけ、本来の宗教に目的なんかあるか。
> 合目的宗教は、邪教よ。
目的の無い宗教とは君自身が内示する自己宗教である。
誰も手を合わさない・・・・ほっぺたを叩かれるのみ・・・・・

馬鹿か・・宗教の目的は「宗教が目的」である。
辞書に宗教とは・・・云々と明記してある。。。。。



>
> Seaside Hotelさんの<cuoipc$gj7$1@news-wst.ocn.ad.jp>から
>>
>>"golden cross" <popcorn05@bridge.ocn.ne.jp> wrote in message
>>news:cun1h9$n8k$1@news-est.ocn.ad.jp...
>>> Seaside Hotel wrote:
>>>>
>>>> "koma" <koma-ds@k9.dion.ne.jp> wrote in message
>>>> news:5vbPd.1346$Ex3.33@news1.dion.ne.jp...
>>
>>現証とは、実際生活の上に証拠づけられる体験
>>である。だいたい宗教の目的は、人間革命にあり
>>、宿命を打開して絶対的幸福をうることである。
>>したがって、その宗教で説く教えどおりに実践す
>>れば、そのとおりの現証が現れなくてはならない。
>>われわれの生活には、正しい宗教を信じて修行
>>に励めば功徳が現れ、反対に信心を怠ったり、
>>邪宗をしんじたりすれば罰が現れる。
>>日蓮大聖人も、現証を最も重要視された。三三
>>蔵祈雨事にいわく「日蓮仏法をこころみるに道理
>>証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証には
>>すぎず」と。さらに例証を一、二あげよう。
>>立正安国論に浄土宗を破折された時の現証論は
>>次のとおりである。
>>「慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く、『唐の
>>武宗皇帝・会唱元年勅して章敬寺の鏡霜法師を
>>して諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む寺毎に
>>三日巡輪すること絶えず、同二年回鶻国の軍兵等
>>唐の堺を侵す、同三年河北の節度使忽ち乱を起こす、其の後大蕃国更た命を拒み回鶻重ねて地を
>>奪う、凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に
>>起る、何に況や武宗大に仏法を破し多く寺塔を
>>滅す乱を撥ること能わずして遂に以て事有り』此れ
>>を以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇・建仁年
>>中の者なり、彼の院の御事既に眼前に在り、然れ
>>ば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す、汝疑う
>>こと莫かれ汝怪しむこと莫かれ唯須く凶を捨てて
>>善に帰し源を塞ぎ根を截べし」
>>これは邪教が国家におよぼした現証論であるが、
>>個人を含めたものでは、弘安二年の聖人御難事
>>がある。
>>「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が
>>落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰
>>・別罰・顕罰・冥罰・四候、日本国の大疫病と大
>>けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ばちな
>>り、やくびやうは冥罰なり、大田等は現罰なり別
>>ばちなり、各各獅子王の心を取り出だして・いかに
>>人をどすともをづることなかれ」
>>さらに、日蓮大聖人が末法の仏であると断ずるの
>>も、文証としての法華経があり、その文証どおり
>>大商人のご生活に現れたからである。法華経の
>>なかに「而かも此の経は如来の現在にすら猶怨
>>嫉多し、況や滅度の後をや」とあるが、釈迦滅後
>>に、日蓮大聖人ほど法華経のために憎まれ、あ
>>だまれた方は一人もいない。これこそ現証である。
>>なお、法華経勧持品の二十行の偈「数数見擯出」
>>の御文も、伊東へ、佐渡へ、二度の流罪にあらわ
>>れた大聖人が初めて身読されたのであった。
>>この現証をもって、大聖人は竜の口から佐渡流罪
>>えお、ご自身の発迹顕本と申されるのである。
>>以上のように、仏法では現証を尊ぶ。
>>又、主観は、どちらかというと感性的ものであり
>>客観は理性的ものです。両者をアウフヘーベンし
>>たところに真の宗教はある。