"Seaside Hotel" <dream-seeker48@aurora.ocn.ne.jp> wrote in message 
news:cuoipc$gj7$1@news-wst.ocn.ad.jp...
>
> "golden cross" <popcorn05@bridge.ocn.ne.jp> wrote in message 
> news:cun1h9$n8k$1@news-est.ocn.ad.jp...
>> Seaside Hotel wrote:
>>>
>>> "koma" <koma-ds@k9.dion.ne.jp> wrote in message
>>> news:5vbPd.1346$Ex3.33@news1.dion.ne.jp...
>
> 現証とは、実際生活の上に証拠づけられる体験
> である。だいたい宗教の目的は、人間革命にあり
> 、宿命を打開して絶対的幸福をうることである。
> したがって、その宗教で説く教えどおりに実践す
> れば、そのとおりの現証が現れなくてはならない。
> われわれの生活には、正しい宗教を信じて修行
> に励めば功徳が現れ、反対に信心を怠ったり、
> 邪宗をしんじたりすれば罰が現れる。
> 日蓮大聖人も、現証を最も重要視された。三三
> 蔵祈雨事にいわく「日蓮仏法をこころみるに道理
> 証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証には
> すぎず」と。さらに例証を一、二あげよう。
> 立正安国論に浄土宗を破折された時の現証論は
> 次のとおりである。
> 「慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く、『唐の
> 武宗皇帝・会唱元年勅して章敬寺の鏡霜法師を
> して諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む寺毎に
> 三日巡輪すること絶えず、同二年回鶻国の軍兵等
> 唐の堺を侵す、同三年河北の節度使忽ち乱を起こす、其の後大蕃国更た命を拒み回鶻重ねて地を
> 奪う、凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に
> 起る、何に況や武宗大に仏法を破し多く寺塔を
> 滅す乱を撥ること能わずして遂に以て事有り』此れ
> を以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇・建仁年
> 中の者なり、彼の院の御事既に眼前に在り、然れ
> ば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す、汝疑う
> こと莫かれ汝怪しむこと莫かれ唯須く凶を捨てて
> 善に帰し源を塞ぎ根を截べし」
> これは邪教が国家におよぼした現証論であるが、
> 個人を含めたものでは、弘安二年の聖人御難事
> がある。
> 「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が
> 落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰
> ・別罰・顕罰・冥罰・四候、日本国の大疫病と大
> けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ばちな
> り、やくびやうは冥罰なり、大田等は現罰なり別
> ばちなり、各各獅子王の心を取り出だして・いかに
> 人をどすともをづることなかれ」
> さらに、日蓮大聖人が末法の仏であると断ずるの
> も、文証としての法華経があり、その文証どおり
> 大商人のご生活に現れたからである。法華経の
> なかに「而かも此の経は如来の現在にすら猶怨
> 嫉多し、況や滅度の後をや」とあるが、釈迦滅後
> に、日蓮大聖人ほど法華経のために憎まれ、あ
> だまれた方は一人もいない。これこそ現証である。
> なお、法華経勧持品の二十行の偈「数数見擯出」
> の御文も、伊東へ、佐渡へ、二度の流罪にあらわ
> れた大聖人が初めて身読されたのであった。
> この現証をもって、大聖人は竜の口から佐渡流罪
> えお、ご自身の発迹顕本と申されるのである。
> 以上のように、仏法では現証を尊ぶ。
> 又、主観は、どちらかというと感性的ものであり
> 客観は理性的ものです。両者をアウフヘーベンし
> たところに真の宗教はある。

うぅぅぅ・・・と・言えば軽蔑されますかね。


>
>