まず、fjの利用には何がしかの、他では要求されないような事をお互い
要求する事によって、よりよいニュースグループにしてゆこうという試み
には私は賛成ですね。

これに関する理由を言えといわれてもこれといったことは思い浮かびま
せんが、しかし、投稿・閲覧をしていく過程で、その行為を最も効果有ら
しめる事態の実現というのは、その投稿・閲覧行為自体の中に、そし
て投稿・閲覧するものの心の中に必然的に含まれているものではない
かと思う。したがってことさらの「理由」は不要である、というのがわたく
しの論理であります。

なぜなら、投稿効果も発揮できないような投稿を敢えてする人がいると
いうような理解は矛盾であるし、閲覧の効果も不十分にしか受けられず
ともそれでよしとしている閲覧者がいる、と捉えるのも同じく矛盾だから
です。翻って、この矛盾を矛盾のまま放置しない限りでの拘束はfjにあ
って然るべきだと思う。

では次に、投稿効果も、閲覧効果も発揮できるような「拘束」とはいった
い何か?河野氏は実名・所属の表明だといわれる。わたくしは、むしろ
逆に実名・所属その他の記事内容に関わらない表明の排除だと申し
上げている。違いはこの点にあるに過ぎない。

--
golden Cross