このusageでは「fjの文化」というわけの分からない「概念」を使って議論す
る軽薄な論者が今なお少数ながら生きながらえている。困ったものである。

この者たちは、ではfjの文化って何だ?と問われれば、決まって、

           実名・所属表明主義

を言う。また、なぜ、実名・所属表明主義でなければならないかを尋ねら
れると、それは、
           fjの文化だからだ、

という。わたくしは文化とは、水面下では絶えず他からの侵入、そしてそ
れとの戦いを通じ、自己反省を繰り返す作業がなされる性質のものではな
いかと思っている。

ところで、文化には客観的な価値はないともいわれる。それは、文化生成
の原因をなすものは、そこに住むものたちの「好み」だかでありましょう。

しかし、ニュースグループのように、「不特定且つ多数」を対象にした社会
では、「好み」から発生した文化は、文化としての存在意義はない。従って
尊重されるいわれもない。唯一、そこでの「文化」が人の行動を否定したり
制止したりできる場合というのは、客観的価値を持つ場合だけである。

ゆえに、実名・所属表明主義が妥当かどうかの議論では、

           fjの文化だから

はまったく意味を成さない。実名・所属表明主義の是非はあくまでも、「文
化」を意識するにせよ、その言葉の表皮の中にある、具体の合理性によっ
てのみ結論付けられるべきものである。

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Golden Cross