嶋田@京都です。

Masahiko_KODERA wrote:

> 古寺@嶋田さんが「奥久慈」程度で歳がばれる発言をされるとは、
> むしろケムに巻こうとしているように見えるです(^^;

         や? ジャンミングがバレた ... (^^;

> まんま名称というと、同時期に同目的で運転されてた、確か水戸線から
> 来る普通(主要駅停車だったかも)臨時の「かわらご」というのも有りま
> した。

         この列車、私にとっては403系の快速という覚えしかなかった
        のですが、普通列車の期間の方が長かったようですね。

        http://hpcgi2.nifty.com/ousaka/rinji.cgi?rinji=kwrg

         普段は旅客列車は〔つくばね〕しか通らない小山駅構内の
        短絡線を通る列車として興味深かったです。

>> あの事故がとどめの一撃になったんですかね?
> 
> 要素としては有り得なくも無いでしょううけど、無理矢理な感じも。

         ちょっと思い違いをしていたようです。それまで毎夏運転
        されていたのが1991年から中止されたようですが、4年の中断
        を経て1995年に1回だけ運転されたようです。

        http://hpcgi2.nifty.com/ousaka/rinji.cgi?rinji=azgur

         ただ、あの事故が中断の契機になったことは間違いない
        ところだと思います。

        # 実はあの事故で大破した先頭のキハ58に10日ほど前に
        # 乗っていました。

> #毎日運転の定期直通として、富士急や島原などが更にちょっと上な
> #感じがしますが、体制的には同等かと。

         全線電化私鉄だった富士急がわざわざ気動車作ったのも
        当時、気動車主流だった〔アルプス〕に連結して新宿直通
        したいためでしたね。

> 信楽も旧国鉄線で、一見するとレジャー臨時直通は、ほぼ分離を挟んで
> 連続的に行われていたんじゃないか(列車の歴史としては即席ではない)
> と思いますが(それこそ嶋田さんがすごく詳しそうな方面:-)。

         いやあ、それが当時は未熟でして ... (^^; 確かに草津線
        からの直通普通列車はありましたけど、これは信楽線内運用
        車両の送り込みだったような。

> あの事故で既存の体制を継続している事業者がやりにくくなった要素
> は無かったはずです。

         当時、ちほく高原鉄道がJR乗り入れを計画し、練習運転して
        いて、確か予定通り乗り入れを始めたはずなのでおっしゃる通り
        だとは思いますが、レジャー臨みたいな直通しなくても多少不便
        になる程度の列車は(少なくともあの夏に限って)かなり直通を
        中止したと思います。

> 新規に始めようという動きはそぐ事にはなったでしょうけどね。

         今、思い出せませんけど確か出鼻をくじかれたのもあったと
        思います。


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