あんた等さ、卑しくも「政治」を意識してpoliticsに投稿するのであればだよ、

(1)政治とはなんだ?
(2)「公共」とはなんだ?
(3)政治を語り論ずる目的
(4)どの視点から論ずべきか
(5)「目的」、「視点」に制約は「ない」、あるいは「ある」とした場合、何故制
   約がないとするのか、或いは何故制約はあるとするのか
(6)例えば、日本が大日本帝国の時代と日本国の時代とでは、同じく「国
   民」の立場に立つのならば、果たして同じ結論に達っするのか、それ
   とも違った結論にならざるをえないのか(*)

                (*)なお、この場合、一方の大日本国の時代に
                  於けるあるべき政治選択は今や「存在論」の
                  範疇の議論にはなりえない。したがってそれ
                  だけあいまいな議論となるであろうが、他方
                  の日本国の時代の立場にたつこととの対比
                  で問題とする限りは必要な明確性は確保しう
                  るでありましょう。

せめて、この五つくらいの問題提起にはきちんとした自己の見識を持って
いることが自明の前提でなければならないんじゃないかい?その、自己の
見識は、なにもみんなから賛成賛成とかいわれるものである必要はない。
そもそも賛成を語り、反対を語る奴が分ってない場合ってよくある話だか
ら。

そこでだ、俺たちのアイドルである河野先生は、自己の考えを持った上でペ
チャクチャ喋っているかを監視しようではないか?もう一人、俺はyam氏を
注目したいんだよね。

これは以上のお二方にポイントを当ててるのではない。そうではなく、俺等
にポイントを当てているんだよ。つまり、具体的に人のことを監視しながら、
常に己の姿勢を反省するって言うやつ。分りますよね、皆さん。よくある
「反面教師」として自分を反省するってやつ。

一つ例を挙げよう。一時期、イラクにボランティアに行って現地の悪漢から
とっ捕まり、ために日本政府がかなり譲歩した交渉を余儀なくされたようで、
それは日本国に多大な迷惑をかけたとされるような場合だ。俺等の中には
その話を聞いて、一部の政府の機関や議員の中には救出費用の返還を
せよ、とかの意見まで出たりした。これを俺等がどう見るかには、上記(1)
から(6)の殆どが関係することのように思うだろう?ところが俺等はそんな
ことはそっちのけで「感想文」もいいところの「感じ」をなんだかんだくっち
ゃべって済ましてしまったわけだ。前提を踏まえないとこのようなお粗末な
結果になるといういい見本。

以上、提案として。

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Golden Cross