Path: ccsf.homeunix.org!ccsf.homeunix.org!news1.wakwak.com!nf1.xephion.ne.jp!onion.ish.org!news.daionet.gr.jp!news.yamada.gr.jp!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!newsfeed.mesh.ad.jp!news-gw1.ocn.ad.jp!giga-nspixp2!toyo-news1.attokyo.ad.jp!news01.pwd.ne.jp!news.comp.metro-u.ac.jp!not-for-mail From: "iizuka" Newsgroups: fj.soc.history,fj.soc.politics Subject: =?iso-2022-jp?B?UmU6IBskQkZuNX47djdvGyhCKFJlOhskQkx3OXFMZEJqJEhDZhsoQg==?= =?iso-2022-jp?B?GyRCOXEbKEIp?= Date: Tue, 21 Sep 2004 17:32:38 +0900 Organization: Tokyo Metropolitan University, Tokyo, Japan Lines: 85 Message-ID: References: NNTP-Posting-Host: bunkei12.human.metro-u.ac.jp Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: swallow.comp.metro-u.ac.jp 1095755490 15206 133.86.200.91 (21 Sep 2004 08:31:30 GMT) X-Complaints-To: usenet@comp.metro-u.ac.jp NNTP-Posting-Date: Tue, 21 Sep 2004 08:31:30 +0000 (UTC) X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-Newsreader: Microsoft Outlook Express 6.00.2800.1437 X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V6.00.2800.1441 Xref: ccsf.homeunix.org fj.soc.history:288 fj.soc.politics:15482  飯塚(東京都)です。 ""Shiro" wrote in message ... > この頁の始めの方にある「戦闘詳報・陣中日誌などの日本側史料に基づ >く、日本軍が集団虐殺した中国軍民の数」と言う表の始めの第16師団の >12/13について、秦郁彦著「南京事件」の記述と比較してみました。 > >◎歩兵36連隊について > 第16師団には歩兵36連隊は存在しません。歩兵38連隊の間違いだと思 >うので以下歩兵38連隊とします。  ここだけ合ってるねぇ。  現物見たけど、このホームページが記述を間違ってるみたい。 >◎佐々木支隊について > 佐々木支隊は歩兵38連隊と歩兵33連隊から成ります。従って佐々木支隊 >と歩兵38連隊・歩兵33連隊を同列に並べるのは変です。 > ◎部隊     殺害数     範疇 >  1中隊 1300     投降捕虜殺戮 >  部隊が「1中隊」となっていますが、この「1中隊」は歩兵33連隊の部隊つま > り佐々木支隊の部隊です。佐々木支隊の部隊を別立てで数えるのは水増し > だと思います。  これは記述がありますね。 「後にいたりて知るところによりて、佐々木部隊だけで処理せしもの 約一万五千、大平門(太平門)における守備の一中隊長が処理せし もの約一三○○、その仙鶴門付近に集結したるもの約七、八千人、 これを片づくるには相当大なる壕を要し、なかなか見当たらず、一 案としては百、二百に分割したる後、適当のヶ処(箇処)に誘きて 処理する予定なり」 (中島十六師団長日記」』中央公論社1984.12.25)  読めばわかるとおり、佐々木部隊と1中隊を並列で書いてる。  だから、数字が組み入れられてることは考えなくてよい。  次に大平門・仙鶴門の守備を命じられていた両部隊に対して、 38連隊は堯化門の守備から長江へ、33連隊は下関から長江 の掃討を行っている。  命令が違うから戦闘詳報が出ているわけで、佐々木部隊の 数に組み入れられていることは考えなくてよい。 >◎部隊     殺害数     範疇 > 歩兵38連隊 5000〜6000 長江渡江中殺戮 > 歩兵33連隊 約2000  〃 > 範疇が「長江渡江中殺戮」となっていますが、移動中の敵部隊を攻撃する事 >を虐殺とするのは水増しだと思います。  戦闘詳報に 「午後三時三十分、前衛の先頭下関に達し、前面の敵情を捜索せし結果、揚子 江上には無数の敗残兵、舟筏その他あらゆる浮物を利用し、江を覆いて流下し つつあるを発見す。すなわち連隊は前衛および速射砲を江岸に展開し、江上の 敵を猛射すること二時間、殲滅せし敵二千を下らざるものと判断す」(南京事件 関係資料集2)  既に「敗残兵」と自分で書いてる敵を攻撃してますね。 > 佐々木支隊 一万数千 敗残兵殺戮 > 範疇が「敗残兵殺戮」となっていますが、佐々木回想録では「この日我支隊 >の作戦区域内に遺棄された敵屍一万数千」です。どの様に死んだかを無視して >敵屍を全て虐殺とするのは水増しだと思います。  どんな状態だったかは、「中島十六師団長日記」にあります。 「だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片づくることとな したる(れ)ども、千、五千、一万の群集となればこれが武装を解除 することすらできず、ただ彼らがまったく戦意を失い、ぞろぞろ付い てくるから安全なるものの、これがいったん掻擾(騒擾)せば、始末 にこまるので、部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ、十三 日夕はトラックの大活躍を要したり」 「中島十六師団長日記」(中央公論社1984.12.25)  最後に「13日夕」と日にちが入ってますね。  内容を見ればわかるとおり、既に戦闘は終わり、投降兵の処分 になっています。 --  東京都 飯塚顕充