友人との待ち合わせに使った書店で田中克彦さんの新しい
本「ことばとは何か − 言語学という冒険」(ちくま新書)
を見つけた.

田中さんには,コトバと人間とのかかわりについて多くの
ことをこれまでに教えられた.20年ほど前に出たエッセ
イ集「法廷にたつ言語」(一昨年,岩波現代文庫で再刊)
におさめられた「現代詩さん,鼻つまりをおこさないでく
ださい」という一文は,ある種の岡目八目的なおもしろさ
を含んでいて,詩を書く人間にとって一読の価値があると
思う.もともと,現代詩手帖に載ったものらしいが,わた
しは詩の雑誌はほとんど読まないので,この本で初めて読
み,腹を抱えて笑い転げた記憶がある.

ところで「ことばとは何か」の最初の章に,近代言語学の
始祖ともいうべきソシュールの発言が引用されている:

 日本語人,つまり,日本語を母語にして育てられ,日本
 語を使って生きている人々が,特別に心してソシュール
 に耳をかたむけなければならないのは,シーニュだのシ
 ニフィアンだのという,知的なおもちゃとしてもてあそ
 びやすい用語ではない.そうではなくて,次の2点が大
 切なのである.(1) 「言語学は規範の学ではない」とい
 うことと,(2) 「文字はことばの正体をかくすものであ
 って,文字をはぎとったところに,ほんもののことばが
 現れるのだ」と言っているこの2つの点である.

(1) は,田中さんがこれまでいろいろな本の中で説いてき
たことと一致する.「美しい日本語を守ろう」とか「方言
は汚い遅れたことばなので使わないようにしよう」とかい
ったわゆる「国語推進派」の人たちがかかげるスローガン
が,「ことばの本質」といかに矛盾したデマゴーグにすぎ
ないかを示している.

詩という芸術形態が,文字を使って書かれそして読まれる
かたちになっているいまの時代に,ソシュールの指摘 (2)
は,きわめて大きな意味を持っているように感じられる.
それはしかし,ちかごろ流行の「詩のボクシング」みたい
に,文字で書くのではなく朗読し人に聴いてもらえば解決
するといった類の問題ではないだろう.

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