MAC屋けんちゃん wrote:

>改憲を今ほざいているのは、馬鹿のままの国民のうちに赤頭巾ちゃんを食っち
>まおうという狼のばあさんよ。
>
>猫なで声を出しても、誰が言ってるかを見れば、ケン公の意図はばればれ。
>

誰が言ってるかはあまり気にするな!自分はどうかを中心に考えたまえ。

>
>MAC屋けんちゃんさんのから
>  
>
>>論理的な大矛盾がある。
>>馬鹿国民を馬鹿から救出した後でなければ、事実としての馬鹿を法律で利口に
>>変えられない。事実が追いついていない。子供に今日から大人とすると法律
>>作っても、事実にはならない。
>>君の言う改憲を今するのは、改憲という手段の目的化に他ならない。
>>ボロが出てるな。
>>
>>
>>改憲の前に、国民馬鹿脱出の手段を議論せよ。
>>
>>隣のけんちゃんさんの<c3ngog$col$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>>    
>>
>>>MAC屋けんちゃん wrote:
>>>
>>>      
>>>
>>>>簡単だ。
>>>>
>>>>官僚というのは制度上責任を取る必要がない。
>>>>命令を実行しただけだから自分意は責任はないという建前。
>>>>しかし、昭和天皇も、同じことを言った。内閣が決定した戦争であり自分は反
>>>>対することはできなかった。官僚的だ。
>>>>
>>>>にもかかわらず、現実には、政治家が決定すべき問題を常に官僚が決定してき
>>>>た。今もそうだ。明らかに官僚の権限逸脱である。そして、責任の取れない決
>>>>定をどんどんしていくわけだ。大変な罪だよ。官僚が政治家として行動するっ
>>>>てことは。つまり、日本の行政機関は立法機関として行動しているわけだ。
>>>>
>>>>        
>>>>
>>>それは、日本国憲法もそんな事は意図していないこと。結果的に無理に解釈を施
>>>してそれが通用している。それは何故かを考えるんだよ。
>>>
>>>内閣に「法案」提出権があり、前提として法案の「作成」も為される。ほぼ90
>>>パーセントが内閣提出の法案が立法にこぎ着けている。こんなのは異常だ。内閣
>>>にこのような権能があるということはその手下(と理屈では考えられている)で
>>>ある官僚にその権限があることを意味している。俺が言っていることがまだ分か
>>>らないようだから、この際詳しく説明してやろう。いいかい、物事を浅く方々に
>>>目を転じて考えるよりも一つのことをとことん考えることが大事。そうすること
>>>によって他の項目の答えが同時に明るみになるってことが多い。そう言う姿勢で
>>>聞いてくれ!
>>>
>>>さすがに当時GHQ は民主主義の感覚は日本の政治家なんかよりは遥かに進んで
>>>いた。だから、今頃こうやって俺ががたがた言っていることなんかとうに知って
>>>いた。彼らは次のように考えたに違いないのだ。
>>>
>>>GHQ: 法案を内閣=行政部に作成・提出させることはもしかしたら
>>>妥当ではない。世界の法制度では議院内閣制の名の下それを
>>>許している国家もなきにしもあらずかもしれないが、それに
>>>はそれ相応の政治的土壌というものがある。したがって、自
>>>分達の考えでは日本国憲法の草案としては、内閣には法案の
>>>提出権は認めないことにしたい。
>>>
>>>GHQ: ただ、そうは言うものの、議員だけに法案を作成・提出させ
>>>るのもまた別の問題がある。そもそも彼ら側にそのような能
>>>   力があるかどうかが問題。第一こんな貧乏な国民に法案なん
>>>   かを検討する「余裕」さえないだろう。第二に、こんな馬鹿
>>>   国民だけに法案提出を任せていたのでは国政がはかどらず、
>>>   政治機能がまともに働かない危険性もある。軍国主義の残存
>>>   が変なことを言いふらして逆戻りさえしかねない。
>>>
>>>GHQ: 処理の効率化という点では、言うまでもなく内閣に作成・提
>>>   出権を与えた方がいい。それは、名前や理屈は変更されると
>>>   はいえ、明治憲法時代の組織ある。官僚組織だ。ただ、われ
>>>   われは、この政治組織が以前のままであることを問題視しな
>>>   いわけにはいかないのだ。したがって、種々問題はあろうが、
>>>   結局は、内閣の事務には「法案を提出すること」は入れない
>>>   ことにしよう。
>>>
>>>はたして、制定された日本国憲法の解釈は「内閣に法案提出権あり」であった。こ
>>>の理由づけは要するに、国民の馬鹿さにある。日本国憲法が議院内閣制を採用して
>>>いることを理由に内閣提出法案を認める解釈が多数説であろうが、実際はそれはこ
>>>じつけであって、本との所は国民側の力量不足が障害になると思っているのだ。こ
>>>の「国民の馬鹿」を法解釈学者もなかなか口に出せずに今日に至っているのである。
>>>口に出せない理由は既に何度も言ってきた通り、建設的な批判さえにもなじまなず、
>>>自分の立場をも危うくしかねない事柄=「国民の馬鹿」だからだ。この問題の悲劇
>>>はこういう所にある。
>>>
>>>もっともっと詳しくしたいが長くなるので止めるが、一つだけは付け加えておく。
>>>俺自身は当時の日本の政治状況と国民の意識のレベルを考えたときには、内閣提出
>>>法案は賛成であった。それは、あくまでも当時を前提しての話である。いまや、国
>>>民も成長した。他方、高度政治化が一層の事務処理の増大をもたらした。それにし
>>>てもだ、今の国民の側にならば、選挙制度を改善していく中で、十分法案を作成し、
>>>提出出来るだけのパワーはあると思うのだ。
>>>
>>>ところが、そのためには憲法73条の解釈を変えなければならない。実は、憲法は
>>>改正してはならないとする,日本の老人めいた「亡霊」がこの、「憲法解釈の変更」
>>>さえをも妨げていることに思いを致すべきなのである。
>>>
>>>    法は、事実とともに常に変化する。<法的安定性>は誰
>>>    のためにあるか?適用されるもののためにあるのであっ
>>>    て、適用するもののためにあるのではない。ましてや適
>>>    用するものの煩わしさを減らす働きなど一切念頭に入れ
>>>    る必要はない。国民が変えたいということに対して<法
>>>    的安定性>で応酬するのは馬鹿げた話である。
>>>
>>>--
>>>隣のけんちゃん
>>>      
>>>