MAC屋けんちゃん wrote:

>こいつは本当にどうかしている。
>教育勅語などというのは、天皇の下に道徳や教育がおかれているものだ。
>天皇が最高で、道徳や教育は一段低く置かれているものだ。
>教育勅語の目的は、天皇制にあったのであり、教育も道徳もその継承で成り
>立っている。これが問題だったという認識がない。
>こいつらは、ケン公も含めて、およそ自由主義などとくちはばったいことをい
>える人間じゃないよ。
>

しかしだねえ、こういう発想は出来ないかね?ポンコツ屋くん!我々国民はあ
まりにも自由気ままに生きる経験を経てしまった。もう歯止めが利かなくなっ
たも同然。このような動物が仮に天皇制に国が戻ったとしても従前のような天
皇制を再現できるだろうか?私見は、「できない」です。マルクスもこの考え
と同主旨。がはははは。(註1)

明治時代の大日本帝国国民は江戸時代を経て天皇親政の君主国家へと移ってい
ったがこの過程で、いったんは自由に生きる経験等経ていなかった。しかし、
それでも、あんな「天皇が神だ」などとは内心では殆どの国民は思っていなか
った。だからこそ伊藤博文は「修身」教育を施さなければならなかったのであ
る。わっかるかなあ、この辺の理屈関係がよ!

いまや、天皇制の国家に戻っても、基本的なことはあくまでもこれまでの自由
気侭な国民でいられる筈。じゃあ、何故わざわざ天皇制の国家にするか?それ
はこうだ。

・親を敬い年長に敬意を払うという国民性の回復
・馬鹿は馬鹿であることを分かり努力する気風の回復
・礼節を重んじ律儀な国民性の回復
・対外的に男らしくなる姿勢の回復      
・お金お借りたものは腎臓を売ってまでも返そうとする姿勢の回復(註2)
                       等々。等々。等々。

要するに、<日本の美風>ですな、そう言うものが天皇制を敷くことによって
回復されるからなんだよ。そして「日本のアイデンテティを作る。このような
ことが回復されたからと言って基本的な自由と平等という観念はなくなる筈が
ない。だからだよ!!

分かったか!分かったら一回ワンと鳴け!
            
            (註1)いったん高度資本主義を経験したからには
                共産主義化するとはいえども決して原始共
                産主義のような非効率生産を余儀なくされ
                るようなことはない、つまり餓死はしない

            (註2)「開腹」ではない ヽ(^。^)ノ

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隣のけんちゃん