SUZUKI Wataru wrote:
> At Mon, 23 Feb 2004 18:10:55 +0900,
> in the message, <c1cg29$8mn$1@news.mirai.ad.jp>,
> Fuhito Inagawa <fuhito@za.ztv.ne.jp> wrote
> 
>>one of the people in general wrote:
>>
>>>刑法の教科書などではあまりにも構成要件ということを大げさに捉える傾向
>>>に有るように思うのは私だけでしょうか?
>>>
>>>それとも、刑法では、構成要件と言う概念に何か特別な意味を込めてそれが使わ
>>>れるのでしょうか?
>>
>>刑法の基本書の一冊くらい*まともに*読みましょうよ。
>>「罪刑法定主義」ちゅーのはなんのためにあるの?
> 
> 
> それ以前に、構成要件を「あまりにも」「大げさに捉える」ってどういう意味
> ですかね? 

「それ以前に」は「刑法の基本書の一冊くらい*まともに*読」む以前に、とい
うことだから、「あまりにも」「大げさに捉える」ってどういう「意味」ですか
ね?とする疑問をもつことはおかしいことではない。どういう「意味」で言った
かを疑問視するだけだから。だから、ここまでは何も問題のない発言だと思う。
少なくとも表現上は。ただ、そうであるならばこんな疑問をもたない人よりはそ
の後の文章を正しく読もうとする姿勢が必要になると言えよう。

なぜなら意味が分からないのは自分のせいである可能性が有るからである。さ
て、そうなっているであろうか?  

> 現在の日本の犯罪論の主流がドイツにおける刑法学の一つの極致である「構成
> 要件論」に依拠している以上、構成要件には、理論的根幹であるという点で特
> 別な意味があると言えばあるけど、それはそれだけのこと。

ここでは構成要件が「特別な意味」があるとの結論は述べている。しかし、何が
「一般的意味」かをこのお馬鹿さんは示さずに、「特別」を語っている。奇妙な
表現である。感情論の域を出ていないと言えよう。

もし、この感情論を正当な議論上の表現として受け取るためには、お馬鹿さん引
用文の外にある原投稿者の次の表現を前提するものと考えざるを得ない。か、あ
るいはその後のスレッドをちゃっかり参照したかのいずれかで有る(その後のス
レッドには明確に「一般構成要件」が述べられている)。ここでは、お馬鹿ちゃ
んのプライドを尊重して、その後のスレッドは参照していないものとして話を進
めてあげましょう。

「法文に、或る要件をもとにある効果が導きだされると書いてあ
 った時、その要件を言うのであれば、それは刑法だろうが民法
 だろうが憲法であろうが皆同じ筈です。」(引用文)

これと比較し、構成要件には「特別な意味」が有るとしているのである。そうだ
とすると民法や憲法等の「一般構成要件」性を認めたことに成ると言えよう。

最後にもう一つの見方。おそらくこれがお馬鹿ちゃんの言いたいことだったのか
もしれない。すなわち、文学的表現であるばかりでなく構成要件と言うものを全
く分かっていない馬鹿の台詞。このお馬鹿は言う。「構成要件には、理論的根幹
であるという点で特別な意味が有る」と。ここでは「意味」の意味がまるっきり
別なものにすり替わっている。ここではこのお馬鹿ちゃんは、構成要件が理論体
系の中のどの位置で語られるかでもって構成要件の意味自体をすり替えているの
である。すなわち、理論的「根幹である」こと、それが構成要件自体の意味だと
する馬鹿を犯している。要するに、この馬鹿は構成要件の「内容」としての意味
を語ることから逃げて、「重要だ」あるいは「無視できない」と同じ意味で「特
別な意味がある」としてしまっている。的外れもいいとこ。誰もこんなことは聞
いてもいないし問題にもしていない。原投稿者の「構成要件と言う概念に何か特
別な意味を込めて」という言葉からそれは明らかである。法律用語を用いた文学
論であると呆れられるゆえんがここに有る。

なお、「現在の日本の犯罪論の主流がドイツにおける刑法学の一つの極致である
『構成要件論』に依拠している以上」は、刑法で頻繁に構成要件を連呼する説明
にはなっています。しかし、主題の<構成要件の意味>とはなんの関わりもな
い。無駄話。

> だからといって別に「大げさに捉える傾向」などがあるわけではない
> (「傾向」と言う以上、特定の教科書に限った話ではなくて一般論だから
>  ね。)。
> ましてそれが「あまりにも」などと言うことはまったくない。

しかし、このようなことにこだわることこそ逆に「恣意的」で有ろう。原投稿者
は「ように思う」と言っているのであり、感想を述べているに過ぎない。人の感
情や感想にとやかく言うようなことは馬鹿げた議論である。「そう思いたいので
すね」の世界である。それを無理に議論上にのせ、無理矢理反論することこそ
「恣意的」である。ようするに、語られる事柄の中のあれこれ混在されたものか
ら議論に適したものを区別し抽出する能力の大いなる欠如。つまり、馬鹿である。

だから、「あまりにも」や「大げさに」という評価的文言は無視すべきが正しい
議論。この原投稿者はこのことを知った上で語ったものとするのが法解釈センス
のある者やることなのです。これが条文だったら優れた解釈能力をもつ者の多く
はそうするでしょう。あるいは別な表現箇所を探し(註*)、それでこれらの評
価的文言の意味を埋め、確定させようとするでしょう。なぜなら、「あまりに
も」「大げさに」の評価的文言は、とやかく言うお馬鹿ちゃんにとってもやはり
評価的文言に他ならないからです。自分だけが評価的文言の意味を射止めたつも
りに成って大口をたたくのは馬鹿の証拠。脳味噌が半分しか無いと誰か?が言っ
ていたのが印象的(笑い)。刑法を齧ったことの有る者なら分かりますよね、こ
こで言っていることが。

     註* ぼくなら、「…民法だろうが憲法だろうが…」に着眼するで  
       しょうね。そうして、「民法や憲法で語られるのと大いに違っ 
       て」の意味だとしてその評価的文言の意味を埋めるでしょう  
       ね。要するに法解釈のセンスですよ。


                 『お馬鹿さんを解剖す』一部終了。

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みんなのケンちゃん