>>>倫理ないし道徳は、人間の良心に関しそれに内面的平和を与えるのを使命とする
>>>のに対し、法は他人に対する関係を統制し共同生活の秩序を基礎づける。…(つ
>>>まり)前者は意志の内的過程、後者は行為の外的過程に関する。


このような考えは何もトマジウスだけではなく、カントの考えでもあった。つま
り、<法と道徳の峻別論>である。

しかし、このような考えに対して異論を唱える立場もある。すなわち、「法と道
徳とは区別されながらも相互に密接な関係に立っている」とするのがそれ。

カントが道徳を個人の内心の事としたことに対しては、「カントのように義務観
念ないし道徳法則への尊敬が動機となっているのでなければ道徳的とは言えない
とするのは行き過ぎであろう」、「むしろ『心の欲するところにしたがって矩
(のり)をこえず』といった無動機の行為こそが道徳的である事の極地だ」と批
判している。そして、「道徳ないし倫理は、個人をこえて社会的なもの、少なく
とも社会倫理的なものとして現れる。」と。

さらに続けて、「要は、社会規範としての倫理と道徳ないし道義というものの存
在を承認しなければならなく、それはもはやカント流の倫理の理解によっては把
握しきれない。」とするのである。

そして結論として、「法と道徳の関係を考える際に考察の対象とされなければな
らないのは(法と道徳というようには峻別のできないところの)客観的な実体を
持った<社会倫理>である」と結ぶ。

                      団藤『法学の基礎』より紹介


以上の説に立った場合の法と道徳ないし道義との関係は次回。


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みんなのケンちゃん