Re: Cartoon from Aljazeera
<btdgta$2242$1@sranhh.sra.co.jp>の記事において
私は書きました。
>> ちょうどいま,野口武彦さんの新しい本「蜀山残雨 − 大田南畝と江戸
>> 文明」(新潮社)を読みかけていて,その第3章「笑いという抒情」の
>> なかで,.....
これは勘違い.
第2章のタイトルは「見立て長安の世界」でした.第3章は狂歌師・四方赤
良(よものあから)としての蜀山人が主催して安永8年に高田馬場の茶屋で
開かれた5夜ぶっ続けの月見大宴会の話から始まる狂歌論です.
宴会といえば,この間読み終えたハンス・エーリヒ・ノサックの小説集「ブ
レックヴァルトが死んだ」所収の短編「追悼」も,語り手の作家が死んだ友
人の追悼文を書かせようと飲んだくれの詩人を探してハンブルグの酒場から
酒場へと巡り歩くストーリーでした.語り手も,死んだ男も,また酔っ払い
の詩人も,3人ともが作者ノサックの分身であるかのように感じられる描写
で,読者を不思議な夜の世界に引きずり込みます.たまたま舞台になってい
るサンクトパウリの街路を何年か前にわたし自身が泥酔して歩き回った記憶
があるので,余計にそんな気分に駆られたのかもしれませんが,....
その酔っ払った詩人が口述してメモ用紙代わりの封筒に書きとめさせた詩は
次の通り:
私の始まりは − 唾棄されたのだ
人は私を放蕩息子と呼んだ − だがそれは嘘だ −
そんなことを言われなければ黙っていたのに ....
はっきりと言おう 私の始まりは逃走ではなかったと
私の前に起きたことに 私は罪はない
人は幸福ではなかったものだから
私に期待をかけたのだろう
しかし私は自分の始まりに苛立った
なぜなら 唾棄というこの仕草が
まるで苦い味のように私の生の仕草となり 私の弱みとなり ....
そして力となったのだから
なぜなら 唾棄されて − 詩人として言うのではない −
私は自分を唾棄するのだから 分かっていただきたい! 私を裁く者たちよ
争う気はない 弁明を述べているのだ
翻訳がいささか硬いように感じるのですが,しかし,「唾棄」(DaKi)という単語
の語感がドイツ語の力強いアクセントを思い出させて,これはこれでいいのかも
知れません.
「大塊われに貸付の日済しを貸せしより,詩歌連俳の紙屑拾ひとなりて」(神様
が胴元の無尽講に取り込まれ,多額の詩債を背負わされて,何か感興を得たらと
にかく詩を作らなければと責め立てられ)と述懐した狂歌師・蜀山人のイメージ
がこの詩と二重写しになって浮かんできます,
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Kiss cedar, Call witch!
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