fj.sci.lang.japaneseの記事<brqt5d$k62$1@nwjp2.odn.ne.jp>で
        tetsuzou@pop02.odn.ne.jpさんは書きました。
> 「痛み」は「痛む」という動詞の連用形が名詞化したと考えられるけど(*1)、
> 「面白み」は正しくは「面白味」であって「面白い」に「面白む」という動
> 詞があるわけじゃない(*2)。「甘い」「甘味」と同じ関係ですよね。

個人的には、この「み」と「む」は同根ではないかと思
っています。つまり、必ずしも動詞が先にあってその連
用形が名詞化したのではなく、形容詞その他から同じよ
うな経路で動詞と名詞が作られたのではないかと思うわ
けです。で、その中で実際に使われてきたものだけが残
ったと。

たとえば「膨らみ」は「膨らむ」が名詞化したと考える
より「ふくら(ふっくら)」から名詞の「ふくらみ」、動
詞の「ふくらむ」の両方が作られたと考えたほうが適切
であるような気がします。

したがって、「面白む」がないからといって「痛み」と
「面白み」が違うものだとは考えていません。また、こ
の接尾語の「み」を「味」と書くのは当て字であって、
「あじ」と関係あるわけではないでしょう。

> # *1:
> # 「痛み」が「痛い」という形容詞ではなく「痛む」という動詞からの派生
> # 語だろうと推測するのは、「憎い」という形容詞に「憎み」という名詞が
> # ないからです。世間で使われているのは「憎しむ」の連用形が名詞化した
> # と考えられる「憎しみ」の方ですもんね。

「憎しみ」「憎しむ」はいずれも「憎し」から作られた
のではないかしら。成立は「憎い」「憎む」のほうが後
ではないかと思います。

しかし「痛し」「甘し」「面白し」が「痛しみ」「甘し
み」「面白しみ」にならない理由はわかりません。そこ
が上の説の弱いところ。(^^;

> 「楽しみ」に△が付いていたのは、この語が名詞としてだけでなく形容動詞
> の語幹としても使えるせいなのかなぁと勝手に思ってました。

「それは苦しみな話だ」のような使いかたがあってもお
かしくないですね。「楽しみ」と「悲しみ」「苦しみ」
を文法的に区別する必要はないだろうと思います。ある
品詞が実際に使われているかどうかの違いだけではない
でしょうか。
-- 
太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
ohta@sdg.mdd.ricoh.co.jp