《『苦しくてもガンバレ』=方向が逆。真の年金改革。》

『年金制度を維持するためには、負担増に耐えなければならない。』
『苦しくともがんばらなければいけない。』
『痛みに耐えなければならない。』

と言う主張を良く聞く。
方向が逆だ。
耐える方向が逆。

これでは負担増で活力を奪い、みんな苦しくなる。
平均20万23万の年金暮らし?
これじゃ机上でしか成り立たない。
実際の生活などできっこない。

老人も苦しい、支える若者も高負担で苦しい。
景気が悪く若者には仕事さえないじゃないか。
老人も20万の年金にたどり着くまで仕事がない。
みんな苦しくなる。
国民が苦しいということは企業も国の苦しいということだ。
国の借金はたまるばっかり、これの返済だけで税収を食いつぶす日もやってくるだろ
う。

先行き明るさは全く見えない。
国家の火は消えしぼみやがて消滅する。

『亡国の論理』とはこのことだろう。

方向性が逆だ。
痛みに耐える方向性が逆なのだ。



《痛みに耐え正しい年金改革を。世界に先駆けて正しい年金改革を!》

もちろん、年金問題を解決するには国民は痛みに耐えがんばる必要がある。

正しい方向性でがんばるべきだ。
正しい方向性の痛みに耐えてこそ未来が開けるのだ。

正しい方向性?
国の保護を求めず『民間にできることは民間で』を押し通すことだ。
共産党の主張する最低保証年金が実現不可能な以上、国の保障で安心して暮らすこと
はできない。

民主党の案も公明党の案も厚労省案も中途半端なものでしかない。
富裕サラリーマンしか年金暮らしできず、中堅以下が富裕サラリーマンの年金暮らし
のために奉仕するという制度でしかない。

だったら、民間保険と同じことじゃないか。
民間保険と同じだ。

民間保険と結果が同じことなら民間保険でやるべきだ。

これが正しい方向性だ。
この痛みに耐えるべきなのだ。

痛みに耐え正しい改革を行うべきなのだ。



《商売音痴の官僚では不可能。》

民間でできるのにわざわざ官僚が硬直的な商売をして負担を上げるとみんな苦しくな
る。

国の制度ではなく民間保険でやればよいのだ。

民間保険ならいろんな選択肢を用意してくれる。
自分にあったっものを選べる。
商売音痴の官僚では不可能。
官僚がこのようなことをやること自体が間違っている。
官僚運営ではなく民間保険でやるべきだ。

そうすると、
176兆円と言う福祉市場も開放され景気は良くなる。
負担は軽くなり将来展望は明るく成る。

若者は仕事に着き老人も仕事にありつける。
家族で助け合って暮らすことが必要だから教育にも熱心になる。
子育てに無関心放任主義も影を潜め、女子高生のスカートの丈も短くなるだろう。

先行き明るくなり将来展望も開ける。

こうすべきことは一目瞭然だ。
これが正しい方向性だ。

この正しい方向性を実現するための痛みに耐えるべきなのだ。

ただしもともと無かった国の保障はキッパリとなくなる。
この痛みに耐えられるかどうかだ。

『苦しくとも耐えろ』
『痛みに耐えてがんばれ』
とはこの方向性のがんばりでなくてはならないのだ。


《ヨーロッパもやがてこうなる》

ヨーロッパ諸国もやがてこうするしかないと気がつくわけだ。

高負担で市場を冷やし不景気を続けることなど不可能だ。
ユーロで統一されたヨーロッパは自国通貨を操作して不景気を乗り切ることができな
くなった。
ヨーロッパもやがてこうするしかなくなる。
わかりきったことだ。

日本はいち早く社会主義の呪縛から開放されるべきだ。

世界に正しい改革の道筋を示してこそ世界第二位の経済大国の国民でしょう。