しばらく前に出た新聞の書評に誘われて,千葉一幹という人の評論
「賢治を探せ」(講談社選書メチエ)を読みました.

世の中の賢治論が,もっぱら思想家としてのかれのイメージを肯定
的あるいは否定的に論じているのとちがって,この本で著者は,詩
集「春と修羅」に出てくる「まことのことば」というフレーズをを
キーワードに,文学者としての宮沢賢治の本質に迫ろうと試みてい
ます.

ソシュールやラカンあるいはフロイドほかの所説を引用しての詳細
な分析は,下手なミステリ小説よりも面白く,一気に読了しました.

著者の説く賢治像に納得するかどうかは別として,これまでに読ん
だ賢治論としては,以前このニュースグループでも紹介した吉田司
さんの「宮沢賢治殺人事件」(太田出版,いまは文春文庫所収)と
肩をならべるような面白さだと感じました.

記号表現と記号内容の乖離についての不満から出発して賢治が追い
求めた「まことのことば」とは何か?

著者が用意した回答については,とても一言で説明できるようなも
のではなく,興味をおぼえた方は実際にこの本を読んでいただかな
ければいけませんが,賢治の詩についてどちらかといえば否定的な
評価をしているわたしの個人的読後感をいわせていただけば,著者
の説く宮沢賢治像がもし正しいとしたら,宗教へのアプローチ(賢
治が国粋的日蓮宗オカルト集団である国粋会のメンバーだったこと
はよく知られています)にしても,また言語とは何かという問題へ
のアプローチにしても,18世紀初頭の浪速の町人哲学者・富永仲
基(とみなが・なかもと)には遠く及ばなかったのではないかとい
うことです.

この本を買い求めた書店の同じ選書メチエの棚に,宮川康子さんの
「自由学問都市・大阪:懐徳堂と日本的理性の誕生」も並んでいた
ので,一緒に買って読んだのですが,ますます,浪速の私塾・懐徳
堂のフロントランナーだった仲基の独創的な思想に惹かれました.

どこかでそのうち,かれの遺した何篇かの漢詩を読んでみたいよう
な気がしています.

「まととのことば」というキーワードからのもうひとつの連想は,
時里二郎さんの連作散文詩集「翅の伝記」(書誌山田)に書かれて
いた「物語を食べるカミキリムシ」というメタファ.この詩集には,
ほかにも昆虫たちの翅の輝きにも似た色とりどりのメタファが散り
ばめられていますが,わたしはこのカミキリムシにいちばん魅力を
感じました.

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        Kiss cedar, Call witch!
        「月曜日に乾杯」という映画を先週観て,今度の月曜日は
        仕事を休もうと思ったが,やはりそうは行かなかった!