Re: 実名原則は崩れてます。 (Re:NNTP 管理者等は、憲章により法的責任を回避出来るのか?)
In article <20030819195950cal@nn.iij4u.or.jp>, SASAKI Masato wrote:
>一般論としては否定しないのですが
>世間的に通っていることで
>fjでも通っていることに対し
>それに反するローカルルールが
>黙示的に形成されたって判断していいの?
>その判断って無理があるんじゃないの?たいてい……
>というのが私の疑問です。
まず私の立場を言うと、個人的な意見として原則実名である
べきと思うのですが、場の慣習や趨勢といったものを考えたと
き、「原則実名」が現状で成立していると言えるかどうかは、
あまり自信が無い、というものです。
なんでそうかというと、けっこう話は単純で、馬鹿の匿名投
稿者が目立つからです。この現象からは、「ほんとにみんな、
原則実名ということを弁えているの? 弁えていたとして、自
衛隊の存在下での憲法9条のような形骸化した空文になってい
るんじゃないの?」という疑問を、私は自信を持って打ち消せ
ません。
要するに、「原則実名である」とはどういうことなのか、そ
の原則が崩れているとはどういうことなのか、という点が実の
所クリアではないような。少なくとも私は、どういう現象があ
ることをもって「実名原則である」と言えるのか、現状クリア
に述べられません。
上記引用部の佐々木氏の言も、歴史的経緯を見て特に変化点
が無いから、過去の状況は今も同様だろうという論法です。む
ろん、説明技法としては有効ですが、正面きっての定義にはなっ
ていないわけです。
正面きって言おうとすれば、例えば「原則」という言葉に
「例外」の存在を暗黙に許す意味がある点に注目し、実名投稿
者が存在することで「原則実名である」と言うことは辞書的に
はできます。が、この基準では下限が規定されないので、0で
なければOKとなってしまい、例えば「原則」に沿う事例が
0.000001 % という状況でも「崩れていない」と言えてしまい
ます。
これは極端なケースですが、要するに少なくともこの辞書的
基準では空文となっても検出できません。
こういう話を踏まえて佐々木氏の解説に対すると、「世間的
に通っている」には同意しますが、「fj でも通っている」は、
そのまま同意はできません。
後者を「fj で通っていた」と「fj で通っている」に分けた
上で、「fj で通っていた」には同意できますが、「fj で通っ
ている」は、現状どちらとも言い難しということです。
更に言えば、「どこかにターニングポイントがあって、現時
点においては崩れている」という主張が、上手に題材を選べば
可能なのかもしれないと、そう思っているということです。
なお、私は「崩れている」と主張したいわけではありません。
可能性の問題です。私見としては、後述しますが、慣習と慣習
法の違いのアナロジーで逆方向の主張ができそうだと考えてい
ます。
# ちなみに「崩れている」としている人は、具体的には河野
# 氏と□■□■□氏の二人で、共にろくな主張ができていませ
# ん。つまり、現状では「崩れている」の有効な主張はなされ
# ていないということです。が、それは有効な主張が不可能で
# あることを意味しません。
>なお法律学では
>「事実たる慣習」と「慣習法」とを区別していまして
>慣習法の成立には単純に繰り返しだけではなく
>「それが法であると認識した上で繰り返すこと」が要求されています。
なるほど。これは知りませんでした。
確認したいのですが、ここで言う「法として」の「法」とは、
行政を背景に持つ法律(や政令、条例 etc)で正しいでしょう
か。fj の憲章とかマナーとかを入れると、「事実たる慣習」の
方になってしまうと思うので。
これが正しいとすると、慣習と法との違いの話における「法」
を、「fjの原則」にシフトさせるアナロジーが有効であれば、
かなりありがたいですね。
このアナロジーが有効ならば、次の2点が示せれば、慣習法
ならぬ「慣習原則」の存在が言えそうですから。
・「fj の原則だから実名を名乗る」という人々がいる
・そういう人々が連綿と存在してきた
程度問題はあるにしても、これらの確認の労は馬鹿調査より
はだいぶ楽そうなので、現実論としてはこちらの方が価値が高
い。
>あと本題から外れますが
>イギリス議会に対する国王の拒否権の最後の行使は1707年ですが
>単純にそれ以降行使されないからなくなったという判断ではなく
>名誉革命で示された国会主権の原則が
>実質的に国王排除という形で進行していくなかで総合的に判断というようです。
>(樋口陽一先生の「比較憲法」第3版p120)
ありがとうございます。別途調べてみます。
# 感想を言えば、「総合的」という点が「空気(ニューマ)」
# を感じさせますね。要調査ではありますが。
参考までに、ちょっと考えたことを。
「崩れていない」を主張する方針として、もう一つ。
fj の原則と世間の慣習とは相似の関係にあると考えて、そ
れを流用するというパターンです。
もう少し具体的に言えば、「世間的に通っている」と判断で
きるなら、同じ評価法で同じ結果が出れば、「fj 的にも通っ
ている」と言えるという考え方です。
世間の話について私が主張するとしたら、事例の数を上げる
ことで「通っている」という現実ことを示し、更にその現実が
偶然ではないことを示すためその現実を支えるメカニズムを挙
げるでしょう。例えば社会契約論を前提として上げて、契約に
は責任者の明示が必要であり、明示のために社会内でのIDとし
て「実名」が有用であるから、などという話をするでしょう。
ただ、これを fj に適用しようとすると、微妙に話が変わり
ます。数の方は同じように扱えるのですが、メカニズムが同じ
ものにならない。具体的には、ID としては有効なメールアド
レスの方が実名より有用なので、実名は一段価値が落ちるため、
補強が必要になります。で、補強として、発言者が fj 参加者
であると同時に「世間」に属する人間だという点に注目し、
「世間」での道徳が投稿時にも発動するはずという期待を使う
でしょう。要するに、連想を利用した心理的な縛りです。
この方針では、心理的縛りというものの効果の軽重が論点に
なるでしょうが、補強が必要になったりする辺り「同じ」では
なく、ちょっとロジックとして脆さを感じます。
理論武装の位置付けとしては、バックアップですね。
--
頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735