とりあえず、Newsgroups:の指定順序を逆にしてみました。
#気分だけだな^_^;

In article <bh78p8$i31$1@ns.src.ricoh.co.jp> ohta@src.ricoh.co.jp writes:
>> 直後にのろうと思うのは「次にどれ乗ろうかな。」で、
>> 次回、遊園地に来て乗ろうと思うのは「こんどはどれに乗ろうかな。」
>> という感じです。帰り際に考えるというシチュエーション付きですが。
>うーん、これは私の感覚とは違うなあ。埼玉や東京の友
>だち(もちろん子供)はみんな私と同じ感覚で「こんど」
>を使っていたような気がします。だとするとやっぱりこ
>れは関東と関西の違い?
うーん、やっぱりそうなのかなあ……
関東の語感で「こんど」に「順序性」を伴うニュアンスがあるとすると、
「こんど/つぎ」に対する違和感が関東の語感では
“相対的に小さい”ということは認めざるを得ないかもしれません。

#上の例に関して、私(誕生後、関西以外の日本国内に居た時間を
#全部累積すると8ヶ月くらい)の感覚は池田さんと全く同じです。

>ただ、池田さんに近い部分もあって、遊園地から帰ると
>きは「ああおもしろかった。こんどまた来よう」と思っ
>ているわけで、それは決して「つぎにまたこよう」では
>ないという点です。「つぎ」というのはまだ決まってい
>ない将来の話には使いづらいという印象があるかな。
(中略)
>でも池田さん以外の関西の人なら、そういうときも「つ
>ぎにまたこよう」なのかもしれないな。そのあたりはど
>うでしょう?
私の感覚では、「つぎにまた来よう」とも言えるけど、
「こんどまた来よう」とはニュアンスが明確に違っていますね。
「つぎにまた来よう」だったら、確実な予定がある感じがします。
例えば、どこかの遊園地へ行く予定は確定していて、
どこへ行くかは決まっていないような状況とか。

それはさておき、
In article <bh4t89$p2o$1@ns.src.ricoh.co.jp> ohta@src.ricoh.co.jp writes:
>> その列車が「最初に発車するべく定められている」という事実に着目して
>> 「つぎの列車」と呼ぶこともできるのではありませんか?
>「できるか」といえば「できる」というのが答えですね。
とりあえず「できる」わけですよね。
つまり、「こんど/つぎ」に対して、
関東の語感でも違和感が“相対的に小さい”だけで、
違和感が全く無いわけではないとは言えるのではないでしょうか?

先発列車を「つぎの列車」と呼ぶことが
「できない」という感覚はあるんでしょうか?
もし、そういう感覚の人は居ない、つまり、
先発列車を「つぎの列車」と呼ぶことが
とにかく「可能な表現」であることを前提にできるならば、
「こんど/つぎ」は日本語のニュアンスを無視していて
高い確率で誤解を招く不適切な表現であると強く主張できることになります。

>> この「可能な2つの表現」のうちから、
>> 敢えて「つぎの列車」を避けて「こんどの列車」を選ぶ
>> という感覚が関東にあるとすれば、それは
>> >> むしろ、「こんど/つぎ」という表示に慣れているかどうか
>> >> というところの差異なのではないかと……
>> ということに過ぎないのではないかと思うのです。
>表示になれているかどうかというよりは、
>「こんどの電車」というようないいかたが
>ふだんの会話で広く使われているかどうかでしょうね。
それは因果関係が逆だというのが、私が主張する仮説です。
関東で「ふだんの会話で広く使われている」ことは恐らく事実でしょうが、
それは「こんど/つぎ」を駅で日常的に目にしているからだと考えているのです。

つまり「どちらが先か」ということが本質的に重要ですから、
例えば、
>子供のころ、飯能とか所沢とかで西武電車を待っていた
>ときは、親子の会話でもっぱら「こんどの電車」を使っ
>ていたような気がします。「つぎの電車」といういいか
>たはほとんどしなかったような...。もちろんホームに
>電光/機械式の表示板などなかった時代の話です。
というような「古い情報」で確かなものが沢山あれば良いんですけどね……

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp