"crx" <kimicrux@crux.ocn.ne.jp> wrote:
> >観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
> >ここで
> >観自在菩薩・・・観音菩薩
> >「観音菩薩が般若波羅蜜多の行をされていたとき」
> >とある。
> 「般若波羅蜜多」とは、古代インド語では、「パニャ―パラミタ―」という。
> 般若(パニャ―)は智慧、仏智であり、波羅(パラー)は彼岸という意味であり、向
> こう岸つまりあの世の極楽ということ。蜜多(ミター)蜜が多いという中国の当て字
> で、意味は内在とか家の中というような意味。
> 通して言うと、観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行じた時、
> つまり、「内在された偉大な智慧に到達するための生活行為を、深く実践したとき」
> という意味になります。

もっとわかりやすく一言で言えば、悟りを得るための修行。これを
行い、極めた結果、以下に続く真理を得たということを紹介してい
るのですね。


> >この般若般若波羅蜜多の行とは何をさすと思いますか。
> >皆さんのお考えを承りたい。
> つまり内在された偉大なる仏智に到達するためには、

般若心経は「到達するため云々」とは書いていませんし、それは本
質ではありません。単に到達した時に得た結果を書いています。そ
してこの得られた結果は、修行することなく、誰でも得られるとい
うのが重要です。そのため「空」の説明ですから。

般若心経は、何をどうするべきかというようなことを押し付けたり
はしません。真理として、「一切は空、空の立場で見れば全ては無」
ということしつこく説明し、これを理解すれば苦しみや恐れから解
放されるということを言っているにすぎません。

何をするか、どう生きるかは、好き勝手にしてよく、全く制限され
ません。
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 Name   : Shin-ichi TSURUTA  鶴田 真一  (as SYN)
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