大北です。
Followup-To: fj.news.style
 
ケンカの内容なんぞ知ったこっちゃありませんが、そこはそれ。
 
KENTAROUさんの<6734b3b.0307161530.6ab99653@posting.google.com>から
>その手立ての一つは他人の記事を細分化して一々コメントを
>つけるような議論の仕方を廃止することです。この手法が必然的に
>嫌味や難癖を誘う手法であるとはいえないのでしょうが現実の運用は
>そうなっている。本当に議論として反論したいのであればフォロー
>対象記事で最も言いたいことに対する結論を中心にし、後は一つか
>二つに項目を絞る。それ以上は別立てで議論を企てる。どうでしょうか?
 
この部分はしごく真っ当な内容だと思います。
どうも最近、盛んに議論をしてる人たちの多くがこのような
逐語的なフォローのスタイルをとってるもんで、論点ぶれまくりで
読みにくくて仕方がない。
 
んで、ふと思い出したのが宮野さんの記事。
検索したらこんなのが引っかかりました。
http://bw-www.ie.u-ryukyu.ac.jp/~kono/fj/fj.beginners/1028.html
 
読み返したら思わず感動したので全文引用しちゃおう。
 
Miyano Hiroshiさんの<MIYANO.96Nov22101209@cherry.yokohama.tao.or.jp> 
>「シロウト・ごめん・追記(まとめて)」の一連の議論では、逐語的な
>フォローが多いですね。高安さんも、宮地さんも、橘さんも、みんなそう。
>
>他の人の記事にフォローするときに、ついつい会話でもしているような
>感じでそういう書き方になってしまうのかも知れませんが、そうした記
>事は第三者にとっては概して読みにくいものです。どこに主な論点があ
>るのかを汲み取ることは困難になりますし、しばしば議論をしている当
>人すら論点を見失ってしまう原因ともなります。
>
>fjの記事は、自分の意見を表明したり情報を提供したりするために投稿
>されるのであって、そこで引用される記事は自分の意見や情報を裏付け
>たり、議論の背景を説明するための、副次的な役割を担うものであると
>いうことを忘れないでください。そしてまた、fjの記事は、単に議論に
>参加している人間同士が意見を交換するためにあるのではなく、多くの
>読者に情報を与え、ときには啓蒙するという機能を果たすことが期待さ
>れているのだということを忘れないでください。
 
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Ohkita Hiromi