《家族や企業の役割を加味していくべき》

先進国には失業をゼロにできるだけの近代企業が育っている。
日本には世界に冠たる近代企業群があるじゃないか。
何でこれを使わないのか。

『国の保障だけで安心できるようします』
と、ただ闇雲に貧乏時代のスローガンを叫んでいる。
これはいつの時代のスローガンか。

近代企業群のなかった時代のものだ。
と言うより、もっと前、19世紀に確立した理念じゃないか。
全く旧式だ。

現在は日本においても近代企業群があるじゃないか。
『国の保障だけで安心できるようしよう』とするのが間違いだ。
高負担を強い、企業の活力を奪ってしまう。
国が主体にならなくとも、企業に任しておけば企業が仕事を出し救ってくれるじゃないか。
失業率ゼロにし、老人にも仕事を出してくれる。

老人も働く体力と意欲さえあれば仕事ができる。
会社員も自営業者と同じように長く仕事ができる。
若者も仕事に就ける。
後継者が育ち、地域社会がボランティア活動を活発にすれば充分老後の保障は可能だ。

失業率ゼロの好景気の中、老後生活していける。
後継者も育成され国の将来も安泰だ。
国も家庭も明るい将来が見えてくる。

このように、『国の保障だけで安心できるようする』のではなく、
家族や企業の役割を徐々に加味して行き、やがては企業や家族の役割を主体にしていくべきだ。

そうすれば益々好景気になる。
救うべき貧乏人は少なくなる。

これこそ正しい保障の在り方じゃないのか?
自由主義国家の老後の保障のあり方ではないのか。
21世紀の保障のあり方ではないのか。