《自民党改革派は真の教育改革を実行せよ!》

「日教組は道徳教育を拒否し、道徳を破壊して顧みない。」
「社会を混乱させる根源」

自民党はこう批判する。
ただし?
自民党守旧派は?
口に出しては言わないが?
いや、口では「道徳破壊する日教組はけしからん」
と言いつつ?

実際は、
「老親の保護は国の制度で行うべき」
と当然のように言い。
それが個人の責任を否定する悪しき社会主義とも気がつかず言っている。
結果として、道徳破壊をせっせとやっている。

《自民党守旧派政治家には日教組を批判する資格など無い》

国が老後保護してくれれば、家族も子供も必要なく、地域社会や親せきなど人間関係も必要ない。
つまり道徳も、その集大成である宗教も必要なく、道徳破壊、宗教の否定は自民党守旧派も日教組も共通している。

日教組は口に出して言うだけだ。
「老親の保護は国がするから家族も親せきも地域社会も必要ない、それらを円滑にする道徳も軽視してよい。学校で教えるほどのことではない。むしろ、親の
尊敬介護の実施は天皇崇拝につながり危険。」

自民党守旧派も?
「老後の保障責任は国が整備し保障すべき」
「家族も子供も、資金も頼りになりません。あなたの老後で、本当に頼れるのは国の制度だけです」
このような制度を推進すれば、家族経営や近所親せき付き合いを円滑にする道徳など軽んじられる。
自民党守旧派がやってることは日教組を同じだ。

日教組も自民党守旧派もイデオロギーの根は同じだ。

自民党守旧派政治家には日教組を批判する資格など無い。



《個人の責任を確立できてこそ、問題の解決は可能》

老親の保護責任は誰にあるのですか?
「老親の保護責任は法的責任者にある。」
個人の責任を確立できてこそ、問題の解決は可能なのだ。

「個人の責任を確立する政策を実行する政治家のみ日教組を批判する資格がある。

まず、読売記者など金持ちは社会に対する責任を果たせ。

自立して責任を果たせ。
個人の責任を確立できてこそ、問題の解決は可能だ。

これが真の教育改革になる。

自民党改革派は真の教育改革を!