卑劣な犯行が連続していますが、この風潮はいつ頃からでしょうか?
 確かにヨシノブちゃん事件等過去にも有りましたが、この様に連続して起こる事、結果が以前に見られない残忍な事等大きく様変わりしています。
 この事は営利目的から自己欲求の満足、愉快犯に変わっていることを示します。犯人の年齢を特定する事は現時点では早計かも知れませんが、若年化し、且つ計画性に欠如が見られます。
 近年の犯人の特性は若年層で、且つ人が相手にしない、友達の少ない様子が伺えます。 

 この事は、家庭を含めて教育の大きな欠落が、人の痛みを知らない人間を育てたと考えます。又権利主張を優先する風潮がみられます。誘拐殺人に営利誘拐が見られないのが近年の特性と思います。
 これらの事は躾迄学校に要求する父兄と、痛みを知らない教師が生み出したものです。総て日教組が悪いとは言いませんが多くの責任は、我が子を人任せにする父兄を育てた教育の崩壊に起因すると考えます。丁度日教組が強かった時代に育った人が父兄となり、犯人となっている事が多いと感じます。
 氏の御意見の趣旨には、半分賛成、半分反対です。即ち自らの子供を保護する義務は父兄と学校に有ります。この面では賛成ですが、反面人格は育った環境に拠り熟成されます。この部分では地域社会の意識も問われます。
 数ヶ月前に遮断機の降りた踏切を児童がくぐっていました。後日その子を見かけたので注意したら「知らない人と話をしてはいけない」そうで、その子は走って逃げました。 学校がその様な教育をしているとすれば、又最近では校門の前にインタ-フォンが設備してあり、地域社会と学校の接点は存在しません。
 第一義的には、軽微な犯行を見過ごし、児童生徒の不始末を隠蔽してきた教師の責任と、我が子を叱らない父兄の問題です。
 注意する側が、余計な事をすると見られる事自体が異常なと思います。 我々の子供の頃は近所に怖いおじさんが居ましたが、今は居ない様子です。 目の前のを通学する児童がが殺されつつあっても関わりになりたく無いのが本心です。