投稿された趣旨は理解出来ます。
 先ず、私の恩師は南京攻略戦に尉官で参戦されていました。もう故人となられていますので改めて聞く事は出来ませんが、学生時代に聞いた話で言えば、少なくとも虐殺の認識は持っておられませんでした。
 捕虜(便衣隊)に穴を掘らせて、その穴の前に正座させ、軍刀で首を刎ねたのは事実で、首の皮一枚残す様に斬らないと穴に転がらないので後が大変だったそうです。
 軍刀で斬れるのは精々3人程度で、刀が曲がって(反ってしまい)多くの人を斬る事は困難だったそうです。 少なくとも取り調べの後の斬首ですから万単位の数では無いと思います。
 小隊規模の敵を武装解除の後、機銃で掃射したり、初年兵に銃剣で突かせたりの事はあった様子です。銃剣で一撃で絶命させる様になるまでには時間を要した様です。
 話の中では少なくとも民間人を対象にした事は聞いていません。

 中国側の数字は回数毎に人数が増え、実際に南京攻略戦の時の数字は正規軍を含めて数万人だったろうと思います。つい最近迄中国側は12万人と言っていましたので、南京攻略戦だけの軍を含む犠牲者は12万人未満と考えるのが妥当と思います。
 多分その数字も、国府軍と紅軍との衝突の犠牲者も含まれていると思います。
 作戦に要した日数等から推定しても中国側の数字は誇張していると思います。東京大空襲の様な大規模な空襲能力は日本軍には無く、直接的な犠牲者は多分言われる程の数ではなかったと思います。

 文化の差と都市規模の差から見れば、戦争犠牲者の数が日本軍に拠るもの以外を含めれば、数十万人とされても不思議には感じません。当時の南京の人口を知りませんので解りませんが、上海で3000万人、北京で5000万人、杭州で2000万人等の人口といわれていますので、人口に対しての数で言えば、戦時中の犠牲者の数とすれば必ずしも不思議な数では無いと思います。但し日本軍に拠るものに限定すれば、それだけの弾薬物資の補給が出来ていれば、重慶も攻略出来ていたと思います。
 中国に行って驚いた事は、我々の一里は約4Kmですが中国では800m程度らしく、距離の感覚が異なりました。又数の表現も時折我々とは異なり諺的に表す事があり、数の表現は我々の感覚とは異なる事を感じた事と価値観の違いは大きいと思います。